上 上野総社神社古代律令下で赴任した国司は任国内の神社領幣したが 国司政治の衰退と共に諸神の勧請とかわり国内の諸神を国府近くの一か所に合祀し惣社とした 上野国14郡549柱の神々を迎祀しその神名帳を御神体としたのが総社神社である だからここで礼拝すれば上野国の全神社をお参りしたことになるのです 総社神社は前橋市だが国分寺跡地は高崎市に属していて市境にある 
  山王廃寺跡放光寺は前橋市総社町総社にあり群馬県最古の寺院である
多胡の入野 Ⅳ










➡直径が1m芯柱とはやはりその巨大な寺院が想像出来る そしてここ放光寺の僧が母の為に建てた墓誌である理由が彫られているのが上毛三碑の一つ山上の碑である(群馬県の歴史 河出書房新社) 放光寺は官寺・国分寺・国分尼寺に次ぐ寺格を持つ定額寺であった 次P→
 
上野国府/国分寺跡 現在住宅地になっていて調査発掘は未だされていない 宮鍋神社の蒼海城跡がその跡とある事が後日分ったのは残念 平将門上野国府を襲撃して権力のシンボル国府印と財政基盤の屯倉の鍵を奪ったのは此の地なのです 下野・上野・常陸・相模・武蔵の国府を陥れた将門はこの地で新皇を名乗ったのです  古代68か国の国府には必ず国分寺・国分尼寺が併設されたが上は上野国分寺史跡で現在も発掘中である は復元された築地塀の中の礎石には模型のような豪華な七重の塔が建っていた 高さは60.5mもあったと云う  前橋市元総社町一帯付近
右上下 山王廃寺(放光寺)
現日枝神社には今から1300年前7世紀後半の白鳳期に全国的にも稀に見る豪壮華麗な県内最古の寺院放光寺がこの地にあったのです 今でも創建当時寺院の屋根を飾った石製鴟尾・塔の中心礎石=塔心柱根巻石等がある 写真左の下にあるのが石製鴟尾(国認定重要美術品)でもう一つが同市都丸氏個人宅にある  瓦製ではなく石製で高さが1.03m・重さが1トンもある  此れが屋根の最上部の両端に載っている事はものすごくでかく頑丈な建築物だったろう 手前の円形の内径が1mもある塔心柱根巻石(国指定重要文化財)である➡