碓氷峠には珍しいい数字の歌碑が3基ありました さすが教育県信州人らしい歌碑だ
左端 
一つ家の碑
八万三千八 三六九三三四七
一八二 四五十三二四六
百四億四百
やまみちは さむくさみしな ひとつやに よごとみにしむ ももよおくしも

 みくにふみの碑
四四八四四 七二八億十百 
三九二二三 四九十四万万四 
二三四万一十
よしやよし 何は置くとも み国書(ふみ) よくぞ読ままし 書(ふみ)読まむ人

右 渡邊重石丸数字の歌
四八八三十 一十八五二十百 
万三三千二 五十四六一十八 
三千百万四八四
世は闇と 人は言ふとも 正道に 勤しむ人は 道に迷はじ

上左端 芭蕉句碑
馬をさへ ながむる雪の 
あした哉
  野ざらし紀行
芭蕉は貞享5年(1688)信州姨捨山の月を見るために8月11日美濃を発ち8月15日には姨捨山に着いて月見をし善光寺を参拝して中山道を越えて江戸え帰ったので碓氷の峠は越えたでしょう

   碓氷の坂 W
    
    
 
中山道碓氷峠の険しさを詠む
旅人の 身を粉に砕く 難所道 石のうすいの 峠なりとて
苦しくも 峠を越せば 花の里 みんな揃って 身は軽井沢
日本有数の標高960mの難所であり日本1位と2位の利根川水系と信濃川水系に分ける日本の中央分水嶺である 碓氷の坂と足柄の坂の坂から東を坂東と呼ばれるようになた
 
国重要文化財旧信越本線の碓氷第3アーチ 群馬県安中市松井田町
独逸のアプト式を採用して横川〜軽井沢閑が明治24〜26年に建設された ここは1000分の66と言う国鉄最急こう配の地です 長さ91m 高さ31mで我が国最大の煉瓦造りのアーチ橋 明治の技術と芸術的美しさにはただただ感嘆するのみです 現中山道国道18号線には180以上のカーブがあり日光のいろは48坂などは足元にも及ばない険しさだ
 現在この橋の上は散歩道アプトの道として整備されている