碓氷の坂 X
 


 
群馬県指定文化財碓氷の関所跡 安中市松井田横川
東海道箱根の関所と並び称される中山道碓氷の関所元和9年(1623)に設置された ここ横川は碓氷峠山麓の3っつの川が合流し険しい山が迫って狭間となり関東の境を護る関所要害としては最適な場所であった 参勤交代開始以降には入り鉄砲に出女は厳しく取り締まった 1623年江戸幕府により設置され明治2年に廃止された  正面石がおじぎ石
碓氷峠を下り最初の宿が坂本宿です 文久元年(1861)の皇女和宮下向の際には江戸からの出向が1万人近くあり一行の通過に4日を要した 然し明治26年(1893)鉄道が開通すると若山牧水が訪れた明治41年には旅館は1件だけだったという 彼は
 秋風や 碓氷の麓 荒れ寂し 
        坂本の宿の 糸繰の歌
 
と詠んでいる(説明板) 正面の丸い山は浮世絵師英泉によるの有名な浮世絵刎石山

上右端 芭蕉の句碑上木戸の隣にある
ひとつ脱ひて うしろに負ひぬ 衣かへ

中山道132里(540km) 69宿 坂本宿は長さ392間(713m)に本陣・脇本陣・旅籠・商家160軒が立ち並んでいた その賑わいは馬子歌に 雨が降りゃこそ松井田泊り降らにゃ越します坂本へ と歌われた
 
坂本宿の面影を残す佐藤本陣跡
坂本宿には二つあった本陣の一つで上の本陣とも呼ばれた。3代将軍家光以降の参勤交代により文政年間には31の大名が坂本宿を利用した 宿の東には碓氷関所・西には峻厳なる碓氷峠を控えていたので坂本泊が必然で本陣も二つあり大変な賑わいの宿だったという 尚説明板の隣には坂本小学校発祥の地の石柱がある