横川碓氷峠鉄道文化村にはアプト式線路と数十台の懐かしい車輛が並ぶ  偶然週一回日曜日に運転されるD51のSLに逢えたのはラッキーでした JR信越線は横川駅が終点です 左画像のレールの真ん中にあるのがアプト式の歯車受け軸である 右端 お西宅の庭の万葉集歌碑 巻14-3402 
日の暮れに 碓氷の山を 越ゆる日は 背なのが袖も さやに振らしつ
 碓氷峠は66.7%というJRの中で最も急勾配があり列車の上り・下りには補機であるFE63型の機関車を連結・解放する必要があった そのために長時間の停車を余儀なくされたのです その時間を利用して購入されたのが釜めしで以後横川の釜めしとして有名になった 横川駅の峠の釜めしは1000円で健在でした 1958年折詰が常識の駅弁を益子焼の土器に入れた焚き込ごはんは一時駅弁c純唐フ人気を博した
 

碓氷の坂 Y     
   横川駅1885年(明治15年)10月15日官設鉄道高崎-当駅が開通 1888年(明治18年)当駅から軽井沢駅まで碓氷馬車鉄道が開通しました 1893年馬車鉄道を廃止して官設鉄道が開設されたのです 北陸新幹線高崎-長野間が部分開通た1997年以降は信越本線の終着駅は横川駅となったのです
 群馬県指定五料の茶屋本陣
安中市松井田町五料の茶屋本陣は江戸時代安中藩の名主屋敷であると同時に茶屋本陣でもあった 茶屋本陣は中山道を参勤交代で往来する大名や公家が休息する所である 隣り合わせにある中島家の屋敷は今もお西・お東と呼んで親しまれている 両家は1年交代で名主をしたという 中山道の街道交通を知る貴重な史跡である
 近くには安中藩板倉伊豫守領分の高札場跡があります