右下 恵信尼の里記念館にある恵信尼廟と広場にある親鸞聖人の像
上越市板倉区の記念館の前にある広大な敷地にはこの地で恵信尼は晩年を過ごしたとされその五輪塔が超近代的に作られている 恵信尼は浄土真宗の宗祖親鸞と共に念仏生活歩んだ 寿永元年(1182)うまれで30歳で親鸞聖人と結婚し文永5年(1268)往生した 彼女手紙の中に書かれていた石塔の事や「といたのまき」の地名から昭和32年8月の調査から推定600年のこぶしの木とともに発見された石塔から晩年を過ごされた在所であるとして此の地を「恵信尼顕彰の地」としたという(説明板)
 越の中山関川の関所

右 斐太神社入口
延喜式内社悲太神社
大同2年創建と伝える古社 上杉氏や高田藩主榊原氏代々の尊崇を頂いた神社
  上右 国指定史跡 鮫が尾城祉碑
国指定遺跡鮫が尾城祉と斐太遺跡群

上杉謙信時代鮫が尾城は信濃への領域拡大していた甲斐の武田信玄に対して上杉氏の本拠地である春日山城へ至る平野の入口を固める山城であった 標高185m・25万uに及ぶ広大な山城である 又その麓には2世紀後半の斐太遺跡群(国史跡)が出現し又古墳時代には隣接する丘陵地帯には170基余りの古墳群がひしめき天神堂古墳群(国史蹟)が形成された そして平安時代には延喜式神命帳に見える斐太神社があるのはこの地の重要性が垣間見える

右 鮫が尾城址からの妙高市
  
          越の中山 U