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右上下 田中正造旧宅 佐野市小中町の旗川橋の近くにある 明治23年(1890)洪水による渡良瀬川が決壊し上流にある足尾銅山の鉱毒により一帯の稲が枯死したことに始まる日本最初の公害事件で 国会議員を辞職し天皇にまで直訴に及んだが警察に取り押さえられ未遂に終わったが広く鉱毒事件が世間に知れ渡った 鉱毒の遊水地にするため明治36年には土地収用法による流域の下都賀郡谷中村全村の強制収容による北海道サロマベツ原野への強制移住に最後の日まで抵抗し続けた人物だ 鉱毒事件に全財産を使い果たし亡くなった時は無一文だった 田中正造生誕地墓所
墓地に刻まれてる歌
冬なから 啼かねバならぬ ほととぎす 雲井の月の さためなけれハ
万葉集巻14-3434
歌の意味
安蘇山のつづら(黒葛)が 広い野原にどんどん延びるように私も貴女への想いがどんどん延びて どうしても断ち切れないョ
という意味らしい 古代万葉も現代演歌も男女の心情の歌には変わりないね
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