二子山 (真名子山)
男体の東北に並びて二峰に分るる者、即大真名子、小真名子と云ふ是なり。山志に「男体山と如宝山(女体山)の間に、大真子、小真子とて、二つの山屹立せり。之を二子山とこそ云ふなれ、後撰集に下野にまかりける女に、形見にそへてつかはしけるに
二子山 共に越えねど 増鏡 そこなる影を 尋ねてぞやる
と述べたり。されど東国に下るには、箱根路にかかり、彼山中にも二子山ありて、古来の歌名所とす。散木奇歌集に

旅人は 鏡とや見む 玉くしげ  二子の山に 出でる月影
などあるも、皆箱根路の事とす。日光山中、豈東下の客の通過あらんや、八雲御抄に、下野とするは、たま々後撰集の「下野にまかりける」とあるに誤られしのみ。又六帖に
「下野や ふた子の山の 二心  ありける人を たのみけるかな  夫木抄 喜撰法師
此二子も、文字らを子に誤れるのみ。又河野氏国誌に「二子山は、足尾郷のつづきにて、日光山より上野国へ超える山中に在り」と云われたるも信け難し、同名にして異山ならん

歌浜
中禅寺湖の東岸なれど、三所本社に対向すれば、南涯とも云ふべし。勝道上人、延暦中、此辺に伽藍を建て、寓止したることあり、又寺崎と呼び、慈覚大師の薬師堂を建てしとつたふる地あり、日光古縁起にも此地名見ゆ。回国雑記云、この日光の山尾上、三十里に、中禅寺湖とて、権現おはしましける、登山して通夜し侍り、今宵は殊に十三夜にて、月もいずくより勝り侍りき、渺浪漫たつ湖水はべり、歌の浜といへる所に、紅葉色を争ひて月に映じ侍れば舟にのり
敷島の うたの浜辺に 舟よせて  紅葉をかざし 月を見るかな
       (大日本地名辞書 富山房)