縁起式内社下野国一宮 大神神社 大神神社由緒 第十代崇神天皇の長子豊城入彦命が勅命を受けて東国統治に下った折り天皇の崇拝厚いン奈良大和三輪山の大三輪大神を当地室の八嶋の琵琶島に奉斎したのにはじまる 延喜式神名帳に下野国11社の筆頭に叙せられ926年には惣社に制定され国府庁の制定で毎年国司の奉斎を受けた 天慶年2年の平将門の乱で被害を受けたが藤原秀郷の寄進により再建された 室の八嶋 昔から煙の名所として数多く詠まれて平安時代から歌枕名所として名高い 通説としては仁徳天皇の 高き屋に 祭りてみれば 煙たつ 民の釜戸は 賑わいにけり から釜戸の煙とか 川霧の煙 そここから恋に身を焼く煙 近くの思川からの水蒸気説と詠む人の心情により多くの説で詠まれている 境内にある池の中に八つの嶋がありそれぞれに著名な神社を奉っていて8月には八嶋祭がある(神社栞) お社は香取・二荒山・熊野・浅間・雷電・鹿島・天満宮・筑波の各神社である |
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煙立つ室の八嶋 八つの小島が池の中にありそれぞれお社がある 煙はこの池の川霧の事とか燃える恋→火→煙で恋心の縁語ではないかとか所説あるようだ 上左 藤原定家歌碑 上右 藤原実方歌碑 |