源 崇宇歌碑 松尾芭蕉歌碑    国指定史跡下野薬師跡    安国寺六角堂 戒壇の伝承地に建つ 足利尊氏により薬師寺から安国寺に改称された 右端下 鑑真和上開基下野薬師別院龍興寺
 道鏡の墓(道鏡塚
がある 配流後2年で亡くなった彼に中央政府は「死する時は庶人を以て葬れ」との命により一般庶民の扱いだった 奈良東大寺に似せて建立されている
室の八嶋 U
 
上左 たへず焚く 室の八嶋のけふりにも なほたちまさる 恋もするかな
上右  いと遊に 結びつきたる 煙かな     共に室の八嶋境内にある
芭蕉は奥の細道の中で「室の八嶋に詣す 同行曾良が曰く『此神は木の花さくや姫の神と申して、富士一躰也。無戸室に入りて焼き給ふちかいのみ中、火火出見命生れ給ひしより、室の八嶋と申す。又煙を読み習はし侍るもこの謂也。将(はた)このしろといふ魚を禁ず。縁記の旨、世に伝ふ事も侍りし』とある。(参考 奥の細道 講談社)
 
下 下野薬師別院 龍興寺
   鑑真和上・勝道上人・祚蓮上人の3碑   境内内道鏡塚 前には奈良時代の礎石がある    孝謙天皇神社 国史跡下野薬師寺跡 奈良東大寺・筑紫観世音寺と共に日本三戒壇の寺院の一つで法皇まで登りつめた弓削の道鏡が配流された寺院跡である また女帝天皇との深い関係はご承知の通りで彼を憐れんでこの地まで追いかけてきて亡くなった伝承の地に孝謙天皇神社がある 尚孝謙天皇は重祚により後に称徳天皇となった女帝だ