国指定重要文化財 旧奈良家宅  秋田市金足字小泉 
奈良家はその名の通り弘治年間(1555~1558)に大和国(奈良県)生駒山録小泉村から一時潟上市昭和豊川に移住したのち江戸時代に現在地に移転したという 今この地の大字も小泉である 現建物は宝暦年間(1751~1763)に9代目喜兵衛により建てられたもの銀70貫・3年の歳月を費やした 萱の厚さも2尺程あり全部取り替えるのに7年かかるとのこと  ➡
 

左上 御隅櫓 左下 12代佐竹義尭の銅像  久保田城本丸正門表門お櫓門  竹氏は新羅三郎義光の嫡男義業常陸大掾の娘と結婚して常陸に根付く そして其の子昌義は佐竹冠者と称して常陸久慈郡佐竹郷を本拠地としたのでその後佐竹氏を名乗る 関が原の戦後佐竹義宣は徳川方への態度明確にしなったため54万石から秋田久保田へ転封されたのである  慶長8年(1603年)に築城 久保田城は天主閣と石垣のない城として知られる➡

➡今でも囲炉裏で薪を燃やして防腐・防虫をしているそうだ  全て秋田杉の分厚いかつ図太い柱や棟で出来ていて現在では数億円は下らないとは管理の方のお話 司馬遼太郎の街道を行くや菅江真澄の遊覧記にも載っている
       秋田 其の5           

国指定史跡秋田藩主佐竹氏菩提寺 天徳寺  秋田市 泉三嶽根
天徳寺の惣門・山門・本堂・書院(棟札・破魔矢)佐竹家御霊屋(棟札4枚)等は国の重要文化財であり他に県重文・市指定文化財が多数ある 創建は天正3年(1462)佐竹義憲が夫人の菩提を弔うために常陸国久慈郡に開山した 慶長7年(1602)佐竹義宣が出羽国秋田に国替えすることにになり秋田に移された 度々の火災に遭う 午後4時過ぎは閉門で中には入れなかった
 

➡千秋公園は佐竹藩22万石久保田城跡で駅から徒歩5分の町の真ん中にあり日本都市公園100選の一つである
上 東海林太郎生誕の地 千秋公園入口  直立不動の姿勢で歌うクラシック志望の彼は36歳の初デビュウーとなる曲がなんと赤木の子守唄と言う侠客の歌に大変失望・落胆したと言う 然し意に反して昭和8年当時蓄音機の普及が全国100万台の時代に50万枚のレコード売り上げの大ヒットとなったのである いわば2軒に1軒で購入した事になると言う 現在なら1000万枚に匹敵する売り上です