唐松山天日宮の裏にある石
触ると妊娠すると言われてる石 男性は中央の惰円形の石(玉鉾石)を撫でて右周りに3回、回る 女性は玉鉾石の下にある抱石男石を撫でて左周りに3回、回る 抱石男石の左右にもツルツルになってる石が二つある
  近くの唐松神社が女一代の守り神とか授子安産子安の神様として多くの尊崇を集めているのと無関係ではないでしょう
 
船玉j神社 大仙市協和船岡字向小沢  神社縁起によると三韓征伐の折戦勝祈願に船玉大明神が現凱旋したという 帰路神宮皇后・膽咋蓮等がこの町に至った経路が「雄鹿嶋(男鹿半島)から生保ノ川(雄物川)をさかのぼり支流の石見川(岩見川)中流から山を越えて➡右へ

万箇将軍の墓 瑞光寺   由利本荘市町村字木戸口余り聞きなれませんが天平5年(733)の聖武天皇の頃中国大陸から奇硯と美玉を献上する為万箇将軍を使節として遣わした➡右へ

左から➡協和船岡の逆合川たもとに着いて船玉の神を祀った」というのだ 誠に由緒ある伝承の神社だ ここで一休みし協和境の三倉神社へ進んで日殿山に社殿を建てるのである
左から然し途中暴風雨に遭い出羽の有耶無耶の関辺りに漂着した その時紫の雲が現れ彼らをこの瑞光寺に導いたが長旅の疲れと病で亡くなった 死の直前住職の呉竹翁に贈り物を朝廷にお届けするよう依頼して息を引き取った 住職は藤原氏を通じて光明皇后にお届けし寺に戻り墓前に報告して塚を立て懇ろに弔ったという それがその塚と云うが如何にも出羽・越国にありそうな伝承である こういう伝承は太平洋側には無い あるとすれば島崎藤村の名も知らぬ遠き島より流れ来る椰子の実み一つ・・・・位ではなかろうか 曹洞宗で由利三ヵ寺に数えられる古刹

秋田 其の9


三倉神社 大仙市協和船岡

左 三倉神社(三鞍神社) 
饒速日命が日殿山に社殿造営してる頃十種の神宝を奉じて居住していた所と伝える 又後年高貴な武将が休息の為馬から鞍を下ろして休んだので三鞍神社となったという 又草むしりしていたおばあちゃんは『皇后様が休んだ所』と云ったので驚いたが現在の皇后様ではなく神功皇后と知って納得した 神功皇后が三韓征伐後立ち寄った所なのです 親切なおばちゃん宅で協和町史を見せてくれた
国重要文化財赤レンガ郷土館  秋田市大町
明治42年着工45年に完成した旧秋田銀行本店本館 赤レンガと白磁タイルのコントラストがユニークなイタリアルネッサンス様式が重厚だ