沼館(納豆)八幡神社 納豆発祥の地 横手市雄物川町
元々沼舘柵三の丸に位置していた 苦戦していた源 頼義清原氏に救援を求めて安倍氏追討に協力した暁には15間四方の堂塔建立を約束 当初八神山にあったが小野寺氏がここ沼柵の西に遷座した 納豆八幡として有名 ここは納豆発祥の地なのです

スタルヒンの墓   横手市雄物川町今宿
すでに知らない方の方が多いと思いますが雄物川町にはスタルヒンの墓があるのには驚いた 彼は昭和9年大日本野球倶楽部(巨人軍)に入団し556試合303勝175敗(完投250完封84)奪三振1960の大記録を造ったロシア人 完封84は未だ破られていない 彼は昭和32年40歳で交通事故で不慮の死を遂げる 奥さんが雄物川町出身でここ崇念寺住職高橋大我氏の姉だった縁で妻とともにっこに眠るのです 

雁行の乱れの地 西沼 平安の風わたる公園  横手市金沢中の三貫堰
金沢柵南西にある平安の風わたる公園にある西沼 沼柵から金沢柵目前で突然空行く雁の列が乱れた 有名な雁行の乱れ(敵兵が野に隠れている時空飛ぶ雁は列を乱すの兵法)の地で有名な古戦場である 案の定清原軍の伏兵三十数騎を発見討ち取り危うく難を逃れる 京の兵学者大江匡房から「器量よき武士(もののふ)の、合戦の道を知らぬ」との指摘を真摯に受け止めた義家の成果であろうか
  清原武則真人城址と書かれている 彼は出羽清原氏の中心人物である


真人山
秋田県平鹿郡増田町に真人山がある 菅江真澄の磨戸山の事でしょうか?
 ここに清原真人武則の居城があったのでしょうか

首塚神社  横手市雄物川町今宿高花
延暦年間(782〜805年)征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷征伐の際に戦死者の首級凡そ1000をを埋葬した 更に寛治元年(1087年)の後三年の役で戦死した敵味方の首890を義家はここに埋葬したという 義家は兎も角田村麻呂は蛇足でしょう

首塚神社社殿に安置されている人面石
首塚から出た人面に似た石の写真です これを拝むと頭の諸々の病や・学力向上の霊験あらたかなる神社だそうだそうで地元の尊敬を集めているという
     平鹿 其の3
  
 
武衡生け捕りの沼 蛭藻沼  横手市杉沢谷地中
金沢柵の南 国道13号の傍 金沢柵陥落の際清原武衡は刀の鞘の下を切り口にくわえシュノーケル代わりにしてこの沼の水の下に身を隠して逃れんとしたが発見され斬首となる

武衡は前9年の役の立役者清原武則の子清原武貞は兄清原家衡の叔父にあたる