外郭南門  外柵3・6km 東京ドーム8個分の巨大な軍事・行政の拠点 801年創建950年には廃柵となったようだ 秋田柵と多賀城の中継点でもあり極端に北にあって孤立無援の秋田柵からの国府移転説もうなずける 謎を秘めた払田の柵は雄勝柵とも河辺国府とも山本郡衛説ともとれ学者により諸説あり定めがたい 記述にはあるが所在が不明な柵の実態が実は払田柵かも知れない 

国重要文化財 高畑胡四王神社  大仙市大曲字上高畑
この何の変哲もないはお社は大曲孔雀城 城主富樫左衛門太郎勝家が武運長久を願い元亀元年(1570)岐阜県吉城郡古川村の大工甚兵衛に作らせたものだが調査官の伊東忠太博士は『手法磊落・放縦・端倪すべからず実に奇中の奇 珍中の珍なり』と述べ 昭和10年京都大学教授天沼俊一博士の調査の結果『釘一本使用せず様式に全くこだわらず➡ 
 
延喜式内社羽宇志別神社  横手市大森町八木沢
ホロハサンハウシワケと言う言葉に先史に臭いが感じられる秋田県屈指の古神社である

復元された大路木橋 
南門から政庁跡まで凡そ10m幅の大路で発掘された橋脚通に復元された この下には今でも当時の埋れ木がそのままあるのです 
➡ 和・唐・天を超越した天下一品の建物』と絶賛され国の重要文化財となった 私素人には全くわからない全国古建築中で異彩を放っている神社で平成の大合併で大曲市は今大仙市となり印象が薄いが大曲市が誇る国指定重要文化財である  孔雀城の一部になっていて南方200mの所にある  
 右上 平鹿郡大森町八木沢の保呂波山山頂にある このお社の創建は757年(天平宝字元年)と頗る古い 現在この神社の社家は大友氏・守屋氏・遠藤氏であるが奈良時代に保呂羽神を奉じてこの山入ったのが何と物部守屋の子孫で大和吉野出身の守太夫と云うのだ 現在でも大森町や秋田には守屋の苗字が多いと云う   物部守屋と言えば異国の新興仏教を崇拝する蘇我馬子と激しく対立し日本古来の神道を主張した廃仏主義で580年ごろ日本最初の内乱・宗教戦争の一方の当事者である 然し蘇我馬子・聖徳太子崇仏連合軍の弓の名手トミノイチイによって射殺された人物の末裔なのです  それ程この神社は由緒があると云う事でしょうか 因みに最初に仏教に改宗された天皇は聖徳太子の父親の用明天皇である この神楽殿は室町時代ので全国に6棟しかない厳島j神社と同じ両流造りで重要文化財であるが神楽殿は神社より4km程離れた所にあり残念ながら行けなかった
    平鹿 其の6
          

神社にはこんな張り紙がありました 興味のある方は一度参拝してみて下さい