米内沢駅  秋田内陸縦貫鉄道 
秋田内陸縦貫ローカル線のいかにも雛の駅ですね 列車の発着時には浜辺の歌ノメロディーが流れます

右下 恋文ポスト このポストから大切な人へ託された手紙の願は叶う確立が高いと言う  併せて恋文神社へのお参りもお忘れなくと書いてある

明治天皇雄賜名待后阪の碑と休息の巌 ここからの眺めは絶景で『天地の大観みなここに鍾(あつ)まる』とうたわれた

きみまちさか
  恋文神社 
昭憲皇太后のラブレターが御神体なのでしょうか 或いは勿論明治天皇と昭憲皇太后でしょうか
秋田県立自然公園内きみまち阪第一広場内の娚杉の大木の間にある小さな祠
 

七座(ななくら)神社 能代市二ツ井町小繋
米代川をはさんで7つの嶺が連なる七座山(ななくらやま)の対岸にある 案内板によると658年(斉明天皇4年)阿倍比羅夫が180隻の軍船にて蝦夷東征の折秋田沖に上陸戦勝祈願して船一艘と五色の絹織物を献上して浦の神を祀ったと日本書記にあり天神七代を祀るとある 受験の神様として著名➡ 
➡大河米代川沿いとは言え能代の湊からは大分奥地であり彼の上陸地は雄物川河口の土崎の湊或は男鹿の湊の神社ではないかと思われる だが鹿角からこの米代川沿辺りは元慶の乱で強力な蝦夷の蜂起があったところで石切・仁鮒にはシベリシと云う蝦夷の長もおり最後の抵抗地でも有ったろう
森吉山 
其の3
 


➡真澄も紀行文おがらの瀧に『・・・鎧神社の杜の辺りで雨が降ってきて切石に渡る舟も濡れた兜の社に幣をとり飛峯の宿駅をでると・・・』と書いている

成田為三の音楽記念館 北秋田市米内沢寺の下
明治26年12月15日米内沢生にまれた 代表作は浜辺の歌だが他にかなりや・雨・赤い鳥小鳥 ちんちん千鳥・舌切雀などがある 年配の方には懐かしいメロディーの原点は阿仁川の袂から生まれたのです
   維新後未だ日の浅い明治14年東北巡行でここ現在の能代市二ツ井町を訪れた ここは米代川が七座山にぶつかって右に曲がり今度は現在のきみまちの丘陵にぶつかって左に折れるいわゆるN字型に流れる絶景の地であった ここで御休息を取っていた所気の利た侍従が皇太后のお手紙をお持ちしたのです 其の歌には当時現人神の天皇が草深い陸奥の田舎巡りをすることなどは大宮人で一歩も宮中をお出になったことのない皇后には想像できなかったことでしょう 天皇を気遣う心の内が溢れています 天皇はこの歌に感激して未だ地名の無かったこの地をきみまちと名付けたと言う きみと読みと云う文字は難しい文字のまつを使用している 変換しても出てこないのです  母がよく口ずさんでいた皇太后の歌に
朝毎に 向ふ鏡の くもりなく 
あらまほしきは 心なりけり
人知れず 思ふ心の よしあしも
照らし分くらん 天地
の神

昭憲皇太后歌碑
     大宮の うちにありても あつき日を いかなる山か 君はこゆらむ

鎧神社  能代市二ツ井町薄井槻木
鎌倉頼朝軍に追われた泰衡は蝦夷地に逃れるためこの出羽國比内郡(現北秋田郡比内町)の郎党河田次郎の贅の柵で謀殺されたがその鎧が置いてあった所という 其の泰衡の鎧を祀ったのがこの神社でこの近くには兜を祀る兜神社もある ➡