国指定特別史跡大湯環状列石遺跡 
昭和6年頃から埋没土器や列石が個人や耕地整理により大変古くから発見されていたが意味も分からない上に次第に戦時色も強くなったため本格調査は戦後21年になってからで朝日新聞の大々的キャンペーンにより世に知られるようになった 昭和31年(1956)にやっと国指定特別史跡となったのです 左は縄文先住民の道で中通道跡の碑

 大日堂霊貫神社ご神木姥杉跡 鹿角から岩手県安代町へ抜ける国道282号線の傍らにある大日堂霊貴神社にある御神木姥杉➡右へ
右下 菅江真澄の道の碑

右下  国重要無形民俗文化財・ユネスコ無形文化遺産 大日堂七舞楽の一つ五大尊舞  鹿角市観光交流課の許可を得て掲載

左から➡ j樹齢1500年超・樹高40mの大杉だったが昭和40年衰弱枯死した 菅江真澄の道で彼は「いとふるきみてら運慶作る五大尊 前なる大杉に養老の昔をしのぶ 天明五年(1785)の月初めいかめしき御堂の前にぬかづくけふのせばぬの」 と書いている この大日堂舞楽は重要無形民族文化財・ユネスコ無形文化遺産登録で相当に神秘的らしい 有名なダンブリ長者と其の娘吉祥姫伝説がその縁起となっている

大日霊貴(おおひるめむち)神社 1500年前の継体天皇時代の創建といわれる由緒ある神社  鹿角市は司馬遼太郎流に言えば仏・独の間のアルザスロレーン地方に似てるのです つまり今は秋田県だが南部藩と秋田藩の間にあって長く南部領であった特異な地なのだ そのせいだろうかこの狭い山間の地にありながら多くの偉人を排出し又多くの歴史遺産と文化遺産を有するのです 事に大日霊貴神社に奉納される大日堂舞楽は国の文化財のみならずユネスコ無形文化遺産に登録されるというまことに無限の文化資産有する特異な地なのです➡
左 プロレタリヤ文学小林多喜二出生地の碑
奥羽本線大館駅の一つ手前の無人駅下川沿駅前に建っている
 


錦木塚・狭布の里 其の4




この気候も厳しい鹿角で4000年前に蝦夷の祖先は素晴らしい文明を持っていたのです 青森県西津軽郡の亀岡遺跡や青森市の三内丸山遺跡にも劣らない秋田県の山奥に何故文明が生じたのでしょうか 遺蹟の年代は調査にによると縄文後期(凡そ紀元前4000~3500年前)のものと云う その目的は未だ不明だが祭りと祈りと天文と墓地等様ざまで想像する力を現代の人々に与えてくれています
小林多喜二生誕の地の碑 明治36年10月13日生
➡ この舞楽の起こりは鹿角の代表的伝説であるだんぶり(とんぼ)長者伝説によると養老年間に遡ると云うのです 正月2日の厳寒のなか大日堂殿内で権現舞・駒舞・烏遍舞・鳥舞・五大尊舞・工匠舞・田楽舞を奉納するのです トンボの導きで霊泉を見つけ長者になった夫婦の娘が朝廷に献じられ吉祥姫として26代継体天皇の妃となり後に父母を追慕してここに大日堂示現社を建立したことに由来するという 継体天皇は越国の出だから有りそうな話だ  司馬氏は鹿角を東北の純度が一番高いと書いている
 

ご存知のように彼は1933年(昭和8年)築地署で特高の激しい拷問のため死亡した 寂しい駅前である 日本の勤労者は今や彼が云う「弁当とケガは自分持ち」の格差社会の時代に入りつつあるのです 雇用崩壊・年金崩壊・医療崩壊等は底辺の人々のみならず中流とおぼしき人々をしても平成の蟹工船に載せる時代に入りつつあるのです 駅から数百m西の生れた所にはこの説明板があるだけで今は何もな