常夜灯から見た埋め立てられた八郎潟 遠くには寒風山も見え絶景である 失われた豊かな海です
何の変哲もない三枚橋や諏訪神社の辺り大字は夜叉袋だが小字は何と蝦夷が湊と言うのです 湊とはいっても海から1kmも離れているのです ここが日本書紀斉明天皇4年658)にある阿倍比羅夫が180艘の船団を組み秋田沖に現れた 之を見た蝦夷長である恩荷は秋田の浦の神に誓って朝廷への忠誠を申しでた この対面した所がここ蝦夷が湊と言うのです 恩荷はこの為小乙上の位を賜っている するとその神とはこの近くにある式内社副川神社か諏訪神社ではないかと想像される 勿論諸説があり土崎の土崎神社とか男鹿半島の赤神社とかである 又神功皇后が三韓征伐の帰還時嵐にあって漂着したところで武運長久を祈願して諏訪神社を祀ったとともいうのです 真に想像駆り立てる地なのです |
蝦夷が湊から西1kmの所にある八郎潟
上の三枚橋辺りに神功皇后が漂着したところだそうだが往時の八郎潟は今よりずっと広かったろうから三枚橋辺りが湊でも不思議ではないでしょう
鬼たちは驚いて山に逃げ帰ったという 其の石段である赤神神社に祀られている赤神は『漢の武帝』であるというのが通説になっている➡
慌ててコケコッコーと1番鶏の鳴真似をするとなまはげ伝承発祥の由来らしい鬼が来なくなり何か寂しくなった村人が念に一度正月15日に鬼の真似そして村中を歩き回ったことがなまはげの始まりという👈 |
➡蝙蝠は5匹の鬼に変わりよく働いたので武帝は正月15日だけ休みを与えた 鬼たちは初めて村里に出られるのではしゃぎ畑を荒し家畜や娘達をさらった 怒った村人は武器を持って立ち向かったが叶わず鬼たちは益々乱暴になった 困り果てた村人は鬼と賭けをした 「毎年娘一人を差出すかわりに一晩で五社堂まで千段の石段を作ること これが出来なければ二度と村には来るな」であった 日暮を待って鬼たちはあれよあれよと云う間に石を積み始め忽ち夜明け近くになった 村人は999段まで来た時👈 |
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