打ち上げ花火の様に僅か2ヶ月間陸奥を思い切り駆け巡り頼朝を一瞬ヒヤリとさせた無鉄砲だがその爽やかさに一服の清涼剤を見る思いである 碑には大河兼任軍勢五千余遭難者慰霊・八郎潟水難者慰霊供養塔 と彫られてる
石崎遺跡 五城目石崎遺跡 奈良から平安時代時代まで400年間続いた秋田郡衙城柵跡とされているが今は何も無い 一面の稲作地帯である このあたりは當時蝦夷の村大河村のあったところと云う 五城目町を流れる馬場目川沿いの南側の字名に「大川大川・大川下樋口・大川谷地中・大川西野・大川石崎がありいかにも大河兼任の生まれ故郷らしい地名だ ことに大川石崎にある石崎遺跡・大川大川にある菅原神社の大川城跡などはかれの居城跡ではないかと推測されている |
八郎潟に注ぐ馬踏川河口 遥かに見える黄色の橋が馬踏川橋である その先の八郎潟で悲劇が起きた 氷上を渡れば近道と云う事で7000余人が一気に渡った為馬と鎧の重さに耐えかねて氷が割れてしまった 命を守る鎧の重さが逆に命取りとなったのだろ |
石崎遺跡
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上 寒風山 下左 真山神社入口鳥居 下右 菅江真澄の道 隠里 |