国重要文化財大平山長勝寺山門  弘前市西茂森
慶長6年2代藩主津軽信枚が弘前城の鬼門守護として建立し津軽家の菩提寺としたた 棟高16.2mの大型山門で東北の戦国武士の質実剛健・かつ緻密な木造は一見の価値がある 他に銅鐘・本堂・庫裏も重文である 本堂は工事中
下右 唐糸山万蔵寺 長勝寺隣 山号の名の通り北条時頼の愛妾唐糸の位牌を祀
下左 国指定史跡長勝寺構 正面突き当りが長勝寺山門 禅林街(道の両側に33寺が並ぶ
 重要文化財初代藩主為信正室(阿保良姫)御霊屋環月台  長勝寺境内奥にある 右画像は他の4人の御霊屋が並んでいる

禅林街
2代藩主信枚は弘前城の南西の裏鬼門に当たる地に城内の曹洞宗の寺三十三ヶ寺を一道に集めてかつ城の砦とした この様な構えが新寺町にもあり長勝寺構と言われる この杉並木の一直線の道の正面に最勝寺三門があり両側に寺院が並ぶ 弘前城の一部として国指定史蹟にされてる

左下右 唐糸山万蔵寺
鎌倉時代北条頼時の愛妾で津軽安東氏の娘唐糸はその寵愛ぶりにまわりの嫉妬を買い津軽藤崎町に逃げてきた その後時頼の回国でこの地に廻ってきたときやつれあ自分の容貌を恥じて柳の池に入水してしまった それを聞いた頼時は唐糸供養のため臨済宗護国寺を建立した事に始まる本尊は毘沙門天で唐糸が持っていたものを頼時が十倍の大きさに掘らせて寄進したものという

国重要文化財 津軽山革秀寺本堂  弘前市藤代
革秀寺 その名も津軽山革秀寺津軽為信公の菩提寺で遺言により岩木山の一番眺めのよい場所に2代目信枚が慶長年間に建立した 
下 津軽藩初代津軽為信公御霊屋は非公開である国重要文化財 この御魂屋の中には豊臣秀吉座像が祀られているのは秀吉により津軽氏が南部氏に先駆けて津軽地方を安堵された事に依るからだろうか この他にも未だ多数の国重文が残されているようだ
                                  

各重要文化財 津軽家御霊屋 長勝寺境内
少し分かりにくいが右から左に
壁厳台(二代藩主信枚)・明鏡台(二代藩主正室 満天姫)・白雲台(三代藩主信義)・凌雲台(六代藩主信著) 二代藩主正室満天姫は家康の養女の為牡丹の家紋ではなく葵になっている いずれも国重要文化財である 入場要許可

国重要文化財津軽初代藩主津軽為信御霊屋 革秀寺
土塁と土塀に囲まれていて中には入れない 建立当時は質素であったが江戸文化年間の修理で豪華華麗になった
     岩木山 其の5