田舎館役場 南津軽郡田舎館村田舎館中辻
南津輕郡のお城ではありません 弘前市から黒石市に向かう県道268号沿いにある村役場です 其の名も田舎館村役場 田舎館という地名とお城と21世紀のアンバランスと言うかミスマッチと言うかそのコントラストの面白さからついシャッターを押しました 住所に田舎館が2度も並ぶほど田舎だったのでしょうか?


 終戦により米国人も英国人も鬼でも畜生でもなかった知ったと同じ様に陸奥には蝦夷などと云う人種はいなく居たのは稲作文明を持った大和朝廷の人々とと同じ弥生人がいたのです その弥生遺跡と同じ大きさの水田で今観光用稲作が行われています 遥かに岩木山が見えます 上は発掘された656枚の田圃の一部で観光用稲作今も作られていますが1枚の田の面積の平均は8㎡に過ぎない 現在の棚田にある小さめの田をイメージすれば理解できます 
 
岩木山 
其の7






田舎館水田足跡 垂柳遺跡
水田跡に残された足跡であるが 弘前北部の砂沢遺跡には垂柳遺跡より200年も前の稲作水田が発見されていて縄文末期にはすでに稲作文化をもった弥生人のパイオニアが青森県にやってきて西日本と変わらぬ稲作をこの最北の地で行なっていた
 田舎館垂柳遺跡から発見された8歳~25歳の足跡モデル 炭化米や木製の鋤も発見されている

国指定史跡  田舎館垂柳遺跡  南津軽郡田舎館村垂柳
弥吉時代中期の遺跡である 2000年前の弥生時代に最北青森県で水田農業が行われその人々の足跡が見つかったのは日本中を驚かせました 遣唐使が唐の皇帝高宗に五穀無しと答えた日本書紀(659年)にある蝦夷の記述がいかに出鱈目であり領土拡張の為の国内世論の統制の宣伝文句以外の何物でもない事が分ります 今次の大戦で軍部がアメリカ・イギリスを鬼畜米英と喧伝したのと同じ事なのです➡

上 有名な田舎館村の田んぼアート
 垂柳遺跡の向にある田んぼには毎年違った作品の田圃アートができる 古代米を含む数品種の稲を植え付けものとは思えない匠には驚きました
 陸奥の稲作文化発祥の地ともとれる田舎館米のPRするために始めたのだが 平成27年度で23回目を迎える 現在では遠近法や測量技術を駆使し11種7色の品種を多用しているとのことで外国人観光客も増え年間30万弱が訪れ弘南鉄道では田圃アート駅まで新設した