田舎館水田足跡 垂柳遺跡
水田跡に残された足跡であるが 弘前北部の砂沢遺跡には垂柳遺跡より200年も前の稲作水田が発見されていて縄文末期にはすでに稲作文化をもった弥生人のパイオニアが青森県にやってきて西日本と変わらぬ稲作をこの最北の地で行なっていた 田舎館垂柳遺跡から発見された8歳~25歳の足跡モデル 炭化米や木製の鋤も発見されている |
国指定史跡 田舎館垂柳遺跡 南津軽郡田舎館村垂柳
弥吉時代中期の遺跡である 2000年前の弥生時代に最北青森県で水田農業が行われその人々の足跡が見つかったのは日本中を驚かせました 遣唐使が唐の皇帝高宗に五穀無しと答えた日本書紀(659年)にある蝦夷の記述がいかに出鱈目であり領土拡張の為の国内世論の統制の宣伝文句以外の何物でもない事が分ります 今次の大戦で軍部がアメリカ・イギリスを鬼畜米英と喧伝したのと同じ事なのです➡ |
上 有名な田舎館村の田んぼアート
垂柳遺跡の向にある田んぼには毎年違った作品の田圃アートができる 古代米を含む数品種の稲を植え付けものとは思えない匠には驚きました 陸奥の稲作文化発祥の地ともとれる田舎館米のPRするために始めたのだが 平成27年度で23回目を迎える 現在では遠近法や測量技術を駆使し11種7色の品種を多用しているとのことで外国人観光客も増え年間30万弱が訪れ弘南鉄道では田圃アート駅まで新設した |