寺山修二記念館 三沢市淋代平
「職業は寺山修司」と本人が言うように劇作家・演出家・劇団主宰・俳人・歌人・詩人映画競馬評論家と多才な寺山修司は青森県弘前生まれだが青森空襲で焼きだされ三沢駅前の伯父の経営する寺山食堂の2階に疎開していた だから記念館は三沢市小川原湖の近くにある 殺風景な畑の中のモダンな建物は特異である ペイブメントには

    君の為 一つの声と 我ならん 失いし日を 歌わんために

昭和6年10月4日午前7時1分三沢市淋代海岸を飛び立ったアメリカ青年ヒーハードンとクライドバングボーンの2人の青年は2日後の10月6日午前0時14分ワシントン州ウエナッチ飛行場に胴体着陸して初の太平洋無着陸横断飛行に成功したのです 10m足らずのミス・ビードル号の模型 この飛行機で4877マイル 41時間13分を乗り越えたのです 今も米軍基地がある三沢市はアメリカと縁が深いのです 太平洋の真ん前にある
 八戸対泉院境内にある餓死満霊等供養塔及び戒壇石   八戸市新井田寺ノ上
そこには八戸藩で3万人以上の餓死者を出した天明の飢饉のことが記されており、飢饉の被害を現在に伝える資料として県史跡に指定されている 全国的凶作の天明の飢饉の中でも八戸藩の打撃が尤も大きく天明元年から天明8年の八年間の収穫は平年作の僅か3年分しか無かったと言う


右上 戒壇石 不許可堂酒入山門の裏に彫られている  戒壇石には天明3年の対泉院領内の惨状が記されている この年百姓の47軒が18軒に減少し男女308人中生き残ったのは76人だけだったと彫られている最後に後世の忠告として米穀を囲い置く様諭している
      奥の郡 其の5
     
  ➡ 一粒の 向日葵の種
まきしのみに 荒野をわれの
処女地と呼びむ

と彫られていた 他に
ふるさとの 訛りなくせし
友といて モカコーヒーの
かくまで苦し

時計の針が前に進めば時間となり後ろに進むと思い出になる
 
人間は一度きりだから行ったきりだ

 私の存在そのものが質問なのだ その答えを知りたくて生きている

等名言が多数ある 

ミスビードル号 太平洋無着陸横断記念の地 
     三沢市淋代海岸

南部藩少参事 廣澤安任 六十九種草堂苑(親交のあった勝海舟揮毫の「六十九種草堂」の書)
 三沢市先人記念館
      三沢市谷地頭4丁目