上 八戸対泉院境内にある餓死満霊等供養塔及び戒壇石 八戸市新井田寺ノ上
そこには八戸藩で3万人以上の餓死者を出した天明の飢饉のことが記されており、飢饉の被害を現在に伝える資料として県史跡に指定されている 全国的凶作の天明の飢饉の中でも八戸藩の打撃が尤も大きく天明元年から天明8年の八年間の収穫は平年作の僅か3年分しか無かったと言う
右上 戒壇石 不許可堂酒入山門の裏に彫られている 右の戒壇石には天明3年の対泉院領内の惨状が記されている この年百姓の47軒が18軒に減少し男女308人中生き残ったのは76人だけだったと彫られている最後に後世の忠告として米穀を囲い置く様諭している
奥の郡 其の5
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➡ 一粒の 向日葵の種
まきしのみに 荒野をわれの
処女地と呼びむ
と彫られていた 他に
ふるさとの 訛りなくせし
友といて モカコーヒーの
かくまで苦し
時計の針が前に進めば時間となり後ろに進むと思い出になる
人間は一度きりだから行ったきりだ
私の存在そのものが質問なのだ その答えを知りたくて生きている
等名言が多数ある |
ミスビードル号 太平洋無着陸横断記念の地
三沢市淋代海岸 |
南部藩少参事 廣澤安任 六十九種草堂苑(親交のあった勝海舟揮毫の「六十九種草堂」の書)
三沢市先人記念館 三沢市谷地頭4丁目 |