六十九種草堂苑 みさわ斗南藩記念観光村内 三沢市谷地頭
明治14年東京で開催された内国勧業博覧会に牛馬が食べる野草69種類の研究成果を出品したのでその名がある 当時親交のあった勝海舟の記号による六十九種草堂苑の書が贈られた  南部九牧の一つ木崎の牧跡に当たるこの地に日本初の民間洋式牧場を開設した廣澤安任は大久保利通に入閣を薦められる程の人物だが「野に有って国家に尽くす」を貫いた

国指定重要文化財 南部一之宮櫛引神社 八戸市八幡字八幡丁3
八戸の櫛引八幡宮は、奥州藤原氏討伐の戦功により糠部郡を賜った南部光行が、甲斐国の八幡大明神を建久三年(1192)に六戸瀧ノ沢村に仮宮として移したのがはじまりで、後に四戸の櫛引村に貞応元年(1222)神殿を構え櫛引八幡宮と称したと伝えられます。後村上天皇より拝領した所蔵の国宝・赤糸威鎧をはじめとした宝物、国指定重要文化財の御本殿など、八幡宮全体が文化財となっている
 ➡ 彼は東京新宿に第二牧場を造ったとは今では信じられない  南部九牧とは 上から大間・奥戸・有戸・木崎・又重・相内・住谷・北野・三崎の各牧の事 写真奥の建物が廣澤安任の居宅である 大久保利通や松方正義・原敬等が彼を訪ねてるので相当な人物だったのでしょう 

みちのくの 斗南いかにと
人問はば 神代のままの
     国と答えよ  
 斗南藩権大参事 山川 浩


会津藩士の塗炭の苦しみを歌った一首である 

右 櫛引八幡神社扁額

   奥の郡 其の6
上右 国指定重要文化財春日社
 奈良春日大社と同じ様式で小型ながら正規の一間の春日造の形式とる 一間社春日造  元文四年(1739)勧請
上右端 国指定重要文化財末社明神社 
我が国そう氏神であり伊勢神宮の主祭神と同じ天照大身神を祀る見どころは屋根の流れるような曲線美でありそこから流造のめいしょうがある元文4年(1739)勧請
他所蔵放物 
国宝 赤糸縅鎧・白糸縅褄取鎧 国重文 紫糸縅肩白浅黄鎧・白糸縅肩赤胴丸・兜・鰐口・本殿・長所(旧拝殿国指定重要文化財春日社)

天明八年(1788)、幕府巡見使に随行した古川古松軒はその旅行記『東遊雑記』に、「八戸より一里半西南に八幡村あり。この所に古跡の八幡宮の社塔あり、1039石御領主南部候よりの御寄付あり。この社に宝物数多にて、右の内に新羅三郎義光公の甲胄あり。惣金の銅物にてあたりも輝くばかりなり…
  噺し伝えにもかく黄金のみに制せし甲胄あること聞かず。ゆえあるべし。外にも3領あり、よき甲胄なり。太刀も多く、餝りも念の入りし拵えなり。宝物の数かずありて真物のよきものばかり揃いし所は、江戸を出でしより当八幡宮の宝物第一にて、 世にめずらしき物を一目せしことなりし。」 と記し、絶賛している。(八幡宮ネットより)
                   


四脚門正門   国指定重要文化財四脚門正門切り妻造   慶安元年(1648) 南部藩総鎮守
上左 国指定重要文化財春日社    上右 国指定重要文化財末社明神社