福島県梁川町から宮城県丸森町への阿武隈川沿いを走る国道349号線には昭和61年8月5日(8.5水害)の台風10号による大洪水で阿武隈川が氾濫した時の最高水位の目印があちこち貼られています 右画像の白い目印がそうです 道路から3m位の高さですが普段川の水位は道路の右下20〜30m位の所を流れてるのです いかに恐ろしい洪水だったかが分ります 降雨量は福島県内で300mm.宮城県南部で400mmだったという  長旅の終着点河口 正面太平洋 右亘理荒浜 左岩沼新浜

  猿跳を越えるとすぐ阿武隈船下りのある穏やかな流れに変わる
 丸森町川張
 

 宮城県の阿武隈川の槻木大橋 手前が亘理町向う側が槻木町 遥か白い雪をかぶった山が白石市不忘山
  宮城県 国道6号線 昔ここは藤波の渡し 更に古袖の渡しと言った歌名所の地だ  吾妻鏡には逢隈の湊とある 書には「・・・また海道の大将軍千葉の介常胤・八田右衛門知家等参会す 千葉の太郎胤正・同次郎師常・同三郎胤盛・同四郎胤信・同五郎胤通・同六郎太夫胤頼・同小太郎成胤・同平次常秀・八田の太郎朝重・多気の太郎・鹿嶋の六郎・真壁の六郎等常胤・知家に相具し各々逢隈の湊を渡り参上す」とあり海道を下ってきた千葉・八田軍は此処を渡り奥大道を下ってきた頼朝軍18万と合流し平泉へ向かったのです 


 
           阿武隈川 其の3