会津出身で秩父宮雍仁親王妃勢津子妃殿下揮毫による歌碑である  
  会津嶺 会津の海 其の2   
 左上下 會津嶺万葉歌碑 
        
会津若松市鶴ヶ城公園内
 今から1200年以上も前にここ会津の地から一人の名も無き若者が防人として遥か西国まで徴兵されたのです
 この兵士の歌がどのようにして万葉集にえらばれたのだろうか 想像ばかりが一人歩きする素晴らしい歴史の地である  古代陸奥の男性の愛の誓いの仕方がなんとも微笑ましい 左は会津県立博物館前にある「会津嶺の・・・」万葉歌碑である 向かいに有名な鶴が城があり人気だがこの歌碑には余り気がつかない 一面は万葉仮名もう一面には平安仮名で彫られている  所でいわき市にも同じ万葉集防人のうたがあるがいわきの男の歌は「…可刀利乙女の 結し紐解く」とさっさと浮気しているのに比し會津男子は「…偲びにせもと 紐結ばさね」と「ならぬものはならぬ」の精神で頑固な貞操観念を語るのは面白い 福島県の浜通りの開放的気質と会津地方の真面目な気質があらわれている
下 万葉歌碑 磐梯町役場 
会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば
       偲びにせもと 紐結ばさね
 
国指定史跡 土津神社
下右
 日本一の碑石  祭神保科正行公の事蹟を大義名分を重視した大学者山崎闇斎先生が心血注いで綴った大文章である 重さ30トン 高さ5・45m 幅1・83m 厚1・51m 1943文字で亀跌に支えられている