貞任宗任の狐戻城といわれる麒麟山 常浪川がこの真下で阿賀野川に合流する 川沿いに立つ奇岩が中国の架空の動物のキリンに似てる事から名づけられた その昔夜の山で火が見られと云う伝説が残り点々とともる光がまるで狐の嫁入りのように見えた事から毎年5月3日は「津川狐の嫁入り行列で町お越しが行われる 城名前の由来も麒麟山の険阻故に狐も戻る喩えから名づけられた 
十返舎一九 越後路之記
つがわといふゑきにいたる 此のところは川ふねの出入りおほく ゑちごにいがたへ舟の出るところにてあきんど見せもおほく いづれも大家のみ見へてはんじやうの所なり 
もろともに かいのまわらぬ いへもなし ふねのつ川の 町ははんじゃう
  
下左端 講道館四天王の一人西郷四郎の墓 津川正法寺にある 原作者富田常雄の小説で昭和18年黒沢明監督のデビュー作であるあの姿三四郎(藤田進・大河内伝次郎・轟夕起子)のモデルとなった人物はここ津川出身だった 本名は志田四郎だが會津潘最後の悲劇の家老西郷頼母の養子になって西郷四郎となる 長崎市大光寺より分骨された 

津川代官所跡の碑 町の真ん中の狐の嫁入り屋敷前に立っている

旧會津街道 江戸時代會津潘と新発田潘を結ぶ重要な街道だった 地元では新発田潘・村上潘主が参勤交代で往還したので殿様街道ともよばれている 山頂諏訪峠付近には吉田松陰の碑もある 彼もこの峠を越えたのです
会津の河 
会津の関 
其の2


 






左下 雁木発祥の地 とんぼ 
雪国特有の雁木 有名な青森黒石の雁木はこまちと呼ばれているがここ津川ではとんぼ といわれていて街中のメインストリートの雁木でかっての宿場町の風情を醸し出している 
    左中 西郷四郎の碑 麒麟山中腹
 彼は加納治五郎と共に編み出した山嵐と云う必殺技でとざ派の円地好太郎を打ち破り講道館を不動のものとしたのですがこの碑には作者をして『・・・姿三四郎は西郷四郎ではなく空想の人である 空想理に浮かんだ三四郎の一齣に西郷四郎の面影が浮かんだのは事実だが・・・」と彫られている

左 保科正興の塚 會津潘保科正之の分家で有能なる家老職ながら内輪もめから全知行を取り上げられ罪人としてここ津川の日出谷水沢に流刑された 今も残る正興が住んだ高槻家のおばちゃんは「2年ほどこの家にもいたよ 島流しではなく陸流しだな」と事も無げに言っていた 手前の刻まれた石は政敵によって破壊された墓石である ここはさすらいの丘と呼ばれている