上 伊佐須美神社正面鳥居
  伊佐須美神社桜門
 門とはいへ我々通れない 右側の通用門から出入りする 左右には崇神天皇(在位前97年1月13日〜前30年12月5日)の時代の四道将軍の親子 大毘古命とその息子建沼河別命がこの地で合流した記念にイザナギノ命とイザナミノ命を祀ったのが始まり 右に父 左に息子が立っている2008年10/29日この門は火災により焼失した
 
上右端
 伊佐須美神社  高田町
会津の原点・出発点こそ伊佐須美神社である すでに日本書紀・古事記に会津のいわれが出てくるのだからその凄さが判るでしょう 延喜式明神大社 奥州ニ宮 岩代国一宮 日本3大お田植え祭りや 古式神事砂山祭(塩を作る特殊神事)は有名 境内の薄墨桜と10万株のあやめは有名
左 天海僧正浮身観音堂
上左 天海大僧正両親の墓 高田町興龍寺
あの天海大僧正が會津高田の出身で興龍寺の沙弥だった 彼は和製怪僧ラスプチン(ロシア・ロマノフ王朝ニコライ2世に取り入り妖術により思うが侭に振舞う )とか明智光秀の生き残り説などがある 1589年伊達政宗に敗れた芦名義広等と共に常陸へ逃亡した 徳川家康に仕え対豊臣との大阪の陣 江戸の町づくり 日光東照宮 上野寛永寺等を造営し黒衣の宰相として家康・秀忠・家光の3代にわたり絶大な権力奮い108歳まで生き抜いたと言う伝説もある
 尚彼の墓は日光大黒山の巨大五輪塔となっている  左 浮身観音堂 
天海大僧正
(舟木兵太郎)が幼少のころ村境の浮目の地から一寸八分の感得した観音像である ある日兵太郎に『汝一心に称名せよ 我必ず富貴延寿を成満せん 善願空しからず月の影に添が如し』との観音堂の霊告を聞き日夜肌身離さず一心に念持したと云う ご詠歌
浮身をば たすけ給えや 観世音  みちびき給え 弥陀の浄土へ
左中上下 仏都会津の心 ころり三観音
立木観音・中田観音・鳥追観音
この三観音をお参りしてだきつき柱に抱きついて仏の慈悲にすがれば貧・瞋・痴の三毒を消し去り御仏の慈悲で病に伏すことなくころりと大往生して極楽浄土にいける有難い観音様です

上左 恵隆寺立木観音堂 金塔山立木観音
 會津坂下町 身の丈8・5m日本一の十一面千手千眼観世音菩薩を安置する
遥々と 参りて拝む 恵隆寺 
        何時も絶せぬ 松風の音

上中 普門山中田観音 會津美里町
巡り来て 四方の千里を 眺むれば 
      これぞ會津の 中田なるらん

左 如法寺鳥追観音 西会津町野沢
金剛き 山の如きの 法の寺 
      まこと大悲の 浄土なるらん

      会津の里 其の3