叶山三宝印願成寺 熱塩嘉納村 1227年建立 身の丈8尺(2m40cm)の木造阿弥陀如来・両脇侍座像会津大仏と呼ばれ親しまれている 県内有数の巨大大仏です
上・左 国重要文化財 熊野神社長床 鎌倉初期の建物 源頼義が前9年の役で奥州征伐の際紀州熊野神社に祈念し平定の後には熊野三社を陸奥の何れかに勧進し国家鎮護の祈願所を誓った その後後3年の役で義家がその意志を継この地に熊野三社を勧進した

上中・右 勝常寺本堂 特別保護建造物薬師堂 田んぼの中の宝石箱  大変な御堂です
会津から喜多方へ行く途中湯川村に古刹勝常寺がある 807年(大同2年)徳一大師創建と伝え往時は12坊舎 100余ヶ所の子院を有する会津仏教の一大寺院で東北を代表する古刹である ここには平安初期の9世紀遡る国宝3体 国重要文化財が10体他多数の村指定文化財が保存されているのは極めて珍しい 国宝観世音・日光・月光各菩薩を有する勝常寺 東北唯一の平安期の国宝古刹である
 
国指定重要文化財


会津の里 其の4
上右 弾正が原 会津と喜多方の間塩川町にある 福島のいや日本の自由民権運動発祥の地としてあまりにも有名な喜多方事件現場である 県令三島通庸(薩摩藩士)が強引にはじめた三方道路(新潟・栃木・米沢)建設の過酷な労役負担と代夫賃徴収に抗議して3000人がここ弾正が原に終結喜多方警察署押しかけた 然し多数の自由民権家が逮捕された 有名な「火付け強盗と自由党には頭あげさせ申さず」との通庸の言葉は有名 正面が栗村弾正清政の墓碑 右の碑が自由民権の地弾正が原とある 

古四王神社 
喜多方市慶徳町の琴平山中腹 県道336号線沿いながら非常に道が悪く分かりずらい所にある 何時も思うのだが往古の人々は何故かくも困難な地に祀るのだろうか この神社は秋田高清水・越後五十野のそれと日本三大古四王神社と云うがお参りする人も稀でしょう 鉄棒で支える程の老朽化である 四道将軍の一人大彦命の繋がりを伺わせます