文部省指定史跡 国重要文化財旧滝沢本陣横山家住宅 柱や戸板に刀傷や弾痕十数か所もある 歴代藩主が参勤交代や藩内巡視の休息所 戊辰戦争では容保公出陣により本営となり指揮をとり白虎隊が出陣した所 

会津藩殉教烈婦の碑 飯盛山
中野竹子を始めとする婦女子の悲劇は隣の白虎隊をも凌ぐ
 
 容保公 隊士の墓と松平容保公の歌碑 線香の煙が絶えない
幾人の 涙は石に そそぐとも その名は世々に 朽ちぬと思ふ

 白虎隊自刃の場所 遥か鶴ヶ城炎上会津の郷を望む
  国指定重要文化財さざえ堂(円通三匝堂 ) 飯盛山
6角形3階建2本の螺旋階段で同じ所を通らず上り下りが出来尚且つ四国33観音参詣巡礼をした事になると言う便利なお堂 
  吉田伊惣次の碑 飯盛山
 自害した白虎隊士は官軍により埋葬を禁止され風雨にさらされ放置されたままだったが見るに見かねた伊惣次は独自にここ飯盛山に仮埋葬した


  
 白虎隊唯一の蘇生者飯沼貞吉(雄)の墓 
昭和6年78才仙台で死亡 彼により白虎隊の実像がはじめて明らかになった  飯盛山
 
会津の里 其の7
    
会津の悲劇のは初代保科正之公家訓15か条にある その第一条に『大君(徳川家)の義 一心大切に忠勤に存すべきし 列国の例を以って自ら処すべからず もし二心を懐かば すなわち我が子孫にあらず 面々決して従うべからず』がその遠因となっている

 15条の中で異色なのが第4条『婦人女子の意見 一切聞くべからず』がある これは正之の継室お万と側室おしほとの女の争いから毒殺騒動があり十余人が切腹すると云う女同志の争いにうんざりしてしかも4条に載せたに違いない
 この事件はお万の長女媛姫は米沢30万石の上杉綱勝に嫁ぎおしほの4女松姫は加賀100万石の前田綱紀に嫁つぐ事になった これに嫉妬したお万は松姫の送別の席上松姫の膳に毒を盛ったのであるがたまたまこの日松姫の席が上席変わり毒を盛った次席に媛姫がついため己の娘を殺す結果となった事件である 誠に何時の時代でも女同士の嫉妬は恐ろしいのです
 
  白虎隊士通過した戸ノ口堀洞穴  猪苗代湖の水を会津に引くために元和年間強度の八田氏が起工し元禄年間まで工事が続き後天保年間会津藩士佐藤豊助が藩命により飯盛山の山腹150mを人工的に穴を開け水田2500haに水を供し延べ人夫5万5千人・3年の歳月で完成させた 白虎隊士中二番隊戸の口原に布陣していた味方軍応援のため派遣されたが戦に利あらずとお城の安否確認のため帰城の途中隊士20名が通過した洞穴です