総ての碑石の土台にある亀石(亀趺座)
亀石(きふ)は中国の空想上の動物で竜の子を表し死者の霊を守るのだそうです 碑石は故人の姓名・ 生い立ち・人柄・終生の経歴・ 業績などを讃える文章が漢文で詳細に刻まれています 是があるのが神道で葬られた印であるという 院内廟所では墓所が3段になっていて一番下に碑石 その上に位階・肩書の正式な名前を彫った表石 そして一番上に鎭石があります 埋葬された円墳の上にあるのが鎭石で鎮める石なのでしょう 八角形をしている |
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上 会津中将源平容之墓後ろに鎮石が見える
上左 2代正経の鎭石 彼は仏式で埋葬された
左端 最後の藩主松平容保公の表石 鎭石はこの後ろにある
左 5代会津中将源容頌の墓 手前が表石 後ろに鎭石が見える
上右 国指定名勝御薬園
天寧寺・院内廟所と飯盛山通り(いにしえ夢街道)を挟んで真向かいにあるのが名勝御薬園がある 2代藩主松平正経公が別荘に薬草園を設け各種の薬草栽培を試みたのでその名がある 3代藩主正容公が近江の国から目黒浄定を招き本格的遠州流の庭が造られたのです 楽寿亭・お茶屋御殿は茶席・書院・御慰所として用いられ戊辰戦争では西軍の傷病者診療所に充てられたので戦火を免れました 与謝野晶子は
秋風に 荷葉うらがれ 香を放つ
おん薬園の 池をめぐれば
と庭園を詠んでいる
右 碑石の碑文の一部 沢山の文字が刻まれてる
会津の里 其の8
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