安積地方から西へ標高514mにあり豊富なみずを湛える猪苗代湖の水を郡山には『猪苗代湖の水を安積み原野へ』という疎水開削の構想が江戸時代からあったのです  ①驚く勿れ猪苗代湖から取水した疏水は何とあの山のt中腹付近から磐梯熱海温泉で一旦下の五百川に落とされるのです 勿論無駄には落さずここまでに3っつの水力発電に利用されてるのです 猪苗代湖の標高が想像出切るでしょう

右 安積疏水神社
磐梯熱海温泉の水門
明治新政府による殖産興業と浪人潘士の失業対策としての士族授産政策により明治12年から僅か3年で幹線52kmを完成した初の

➡国直轄公共j事業の第1号である オランダ人ファン・ドールンの技術指導のもと40万円・延べ85万人を動員した右端へ

③水門から勢いよく流れ出る疏水です 安積原野を今も潤している命の水です
  ⑤川を横切るに時は安積疏水橋として鉄管の中を流れる
 ➡今日大型公共事業は財政上目の敵であるがアメリカのあの巨大公共事業含むニューディール政策のおよそ50年超も前に重機不在で実行された公共工事は驚異である 今の郡山市は疏水なくしては語れないのです(東北農政局整備部
 
②五百川と合流した疎水はこの水門から再び別れて単独の安積疏水となるのです 直ぐ上は国道49号線である 然しこれが安積疏水とは今や誰も気がつかないのです

④国道49号線にそって疎水は流れるがブッシュの中を流れるので殆ど気がつく事は出来ない 山に当れば隋道の中を流れる

⑥野越え山越え川越えて安積原野を潤すため休むことなく今も流れ続け安積野を潤しているのです
 安積野 其の2