日和田の安積山  標高20mもないがその麓を奥州街道が通り芭蕉以後人気が出た 伊達家の公式記録である伊達治家記録(1558年)に初めてここが安積山と載っている 中世以降はこちらが安積山と認識されたようだ  一方標高1007mの額取山御霊櫃峠を越えた時の猪苗代兼戴(1448年)の歌に 安積山 片平越えて 来て見れば 初ほととぎす 音信ぞする があり古代から中世以前はここを安積山としたか伊達家公式記録の伊達治家記録(1558年)とは丁度100年早い違いがある 所で額取とは額を剃る事を云うのです それはあの源義家が元服の儀式の前に額を剃って身を清めたことに由来するというが何処まで真実かは不明である  
山の井公園の稗
 
釆女神社

上下共に文字が読めないが恐らく山ノ井か安積山の記述なのであろう 山の井公園















安積山 
山の井 
其の2


 
             
  片平の山の井公園の万葉集の歌碑    日和田の安積山公園にある万葉集の歌碑     采女供養の記念碑