左上下 国指定史跡 上人壇廃寺跡地の碑
この画像は須賀川第二中学校から見下ろした処である 
712年(養老2年)に会津・白河・安積・信夫の4郡を一つにした石背國石城國陸奥國から分離独立させた その発掘遺跡からは全国でも珍しい六角瓦塔など貴重な遺物や遺構が発掘され政治的性格を持った遺跡である事が確認された その為その時の石背國の国衙{国府)跡ではないかとも言われるのである 須賀川には他にも多くの豪族古墳群があるのもこの地方が古代の中心地であった事の証左でしょう 安積郡があった郡山市には東北最大の前方後方墳の大安場古墳があるのもこの地が石背国府の地だったからでしょう 下の画像の奥に見える森が岩瀬の森で其の間に東北本線が走ってる 須賀川は右の画像の様に古墳の時代から古代国家成立はの国府の時代あやさらに芭蕉の長逗留の地とした文化都市でもあったようだ 
 
  国指定史跡米山寺経塚 平安時代末期の末法思想を恐れて将来の安寧を願い経文を青銅の経筒に入れ塚を築いたと云う 10基の経塚が確認されている
 上 市指定史跡 大塚古墳 往時は直径30mはあっと言う円墳古墳

 大塚山古墳の石室
    県指定史跡蝦夷穴古墳
  円谷宅の裏庭に古墳があり住所も御覧のとおり蝦夷穴です

左 上人壇遺跡  
須賀川第二中学校の下にある 陸奥國から分離された時の石背國の国衙跡ではないかと言われている
  
 岩瀬の森 其の3