芭蕉記念館
芭蕉が立ち寄った八幡社と岩瀬寺跡は今芭蕉記念館となって市役所脇に立っている 岩瀬寺はがんらいじ と読む
下 神炊館(おたきや)神社
曾良旅日記には『・・・十年寺・諏訪神社へ参詣 朝の内曇り』 と書いてるが今は神炊館(おたきや)神社と呼ばれている 石背國の初代國造の建美依米(たけみよりめ)命が着任するや社殿を築き収穫された新米を炊き天神地祇に捧げて政治の成功を祈願したことに由来する  建美依米命は死後梅田古墳に葬られたという 称徳2年(1712)正一位の神階を授けられ岩瀬総社諏訪大明神を称し長沼にある式内社桙衝神社と郡内神社を折半していた
   来迎山白道院十念寺      芭蕉句碑 須賀川市 乙字が瀧

さみだれの 瀧降りうずむ  水かさ哉
 
神炊館(おたきや)神社
芭蕉の時代は熊野神社
 在俗の僧可伸宅の庵跡にある句碑 
栗と云う文字は西の木と書きて西方浄土に便りありと行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや
   世の人の 見つけぬ花や 軒の栗
つつましい可伸の生活ぶりや人柄に感じ入り当初は
   かくれ家や 目だたぬ花を 軒の栗
と詠んだが後に上の句に推敲された この栗の木は4代目と云う
 
 市指定文化財芭蕉句碑 十念寺
芭蕉が参詣した十念寺 右は十念寺にある芭蕉の句碑である 

    風流の 初めや奥の 田植え歌
白河・矢吹で宿泊し須賀川に入った芭蕉は相楽等窮に泊まり歌仙を巻いた 等窮が『白河の関いかに越えつるや?』と問うと『長途のくるしみ心身つかれ 且つは風景に魂うばゝれ懐旧に腸を断ちてはかばかいう思ひめぐらさず』答えて詠んだ時の句である 芭蕉は須賀川に7泊8日も逗留した よほど居心地がよかったのでしょう
 
 五月雨で増水して滝の乙字が見えない様を詠んだのでしょうが奥の細道の本文には芭蕉はここの記載をしていない 彼が本当に詠んだものあだろうか 乙字が瀧は本来石河の滝と云われ阿武隈川では唯一の瀧である 高さは2〜3m位しかなないが上空から見ると乙の字型なのでその形状が美しい 日本の滝100選にえらばれている  近くにはデフォルメされた小さな芭蕉と曾良の石造がある 大同3年(808)弘法大師創建を伝える瀧見不動堂もあり対岸からみると風情ある情景をなしている
   この句碑は文化10年(1813)に江戸の一阿地元須賀川の俳人石井雨孝の協力で建立されたものである

    岩瀬の森 其の4