神炊館(おたきや)神社
芭蕉の時代は熊野神社 |
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上 在俗の僧可伸宅の庵跡にある句碑
栗と云う文字は西の木と書きて西方浄土に便りありと行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや
世の人の 見つけぬ花や 軒の栗
つつましい可伸の生活ぶりや人柄に感じ入り当初は
かくれ家や 目だたぬ花を 軒の栗
と詠んだが後に上の句に推敲された この栗の木は4代目と云う
左 市指定文化財芭蕉句碑 十念寺
芭蕉が参詣した十念寺 右は十念寺にある芭蕉の句碑である
風流の 初めや奥の 田植え歌
白河・矢吹で宿泊し須賀川に入った芭蕉は相楽等窮に泊まり歌仙を巻いた 等窮が『白河の関いかに越えつるや?』と問うと『長途のくるしみ心身つかれ 且つは風景に魂うばゝれ懐旧に腸を断ちてはかばかいう思ひめぐらさず』答えて詠んだ時の句である 芭蕉は須賀川に7泊8日も逗留した よほど居心地がよかったのでしょう |
上 五月雨で増水して滝の乙字が見えない様を詠んだのでしょうが奥の細道の本文には芭蕉はここの記載をしていない 彼が本当に詠んだものあだろうか 乙字が瀧は本来石河の滝と云われ阿武隈川では唯一の瀧である 高さは2〜3m位しかなないが上空から見ると乙の字型なのでその形状が美しい 日本の滝100選にえらばれている 近くにはデフォルメされた小さな芭蕉と曾良の石造がある 大同3年(808)弘法大師創建を伝える瀧見不動堂もあり対岸からみると風情ある情景をなしている この句碑は文化10年(1813)に江戸の一阿が地元須賀川の俳人石井雨孝の協力で建立されたものである
岩瀬の森 其の4
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