飯野八幡宮 康平6年(1063)前9年の役の折源頼義が京都石清水八幡宮を必勝祈願の為勧進したのが初である 文治2年(1186)源頼朝が関東御領好嶋庄(いわき市)の総社とし祭祀した 永元年(1211)8月25日造営完了・遷宮式が執り行われた 9つの国重要文化財を有する 本殿・備州長船住盛景・飯野文書・桜門・神楽殿・唐門・仮殿・宝蔵・若宮八幡宮で他に県指定・市指定の文化財が多数有する由緒ある神社 奥州藤原氏を牽制しその配下にあった岩城氏を取り込見陸奥南部に楔をうつ為だったのです   子鍬倉神社
駅南にある この名は全国唯一である 衣食住の神様で 子は蚕で衣 鍬は農具・食 倉は倉庫住である 磐城四郡の総鎮守
 佐麻久根神社 
祭神は伊五十猛命(いたけるのみおと)で素盞鳴命の息子 親子で朝鮮に渡多くの樹種を持ち帰ったので有功之神ともいわれるが社号の佐痲久嶺は佐は「いさお」の真ん中のさと痲久は蒔で嶺は峯を合わせたものと云う 種蒔の神 農業生産の神です
 

大国魂神社  
全国に多数ある国魂は国(郡)の惣(総)を意味しているが近くには有名な根岸遺跡(郡家跡) 夏井廃寺跡 甲塚古墳がりあり古代磐城の政治の中心的位置にある神社であったようだ 木々が魅力的だ 国魂とは進出した国土そのものにも神格を信じ土地の開発は専らその神霊の恩恵による物として祭ったのが国魂神である➡ 
  住吉神社

勿来にも国魂神社があるがここは大がつく大国魂神社で近くには古代の遺跡が多く石城国造の居住地ともいわれ国造により創建されたという
左 住吉神社 
 勿論総本山は大阪住吉区住吉町に鎮座する住吉大社 いかにも湊小名浜らしい 全国住吉神社七社の一つ 関東・東北一宮で当国唯一の式内社である 後ろの磯山が初鎮地である 航海・商売の神  この神門の前にある小さな石の太鼓橋は小名浜が天領だった江戸時代幕府の年貢米を輸送した廻船が帰りに舟に積んで持ち帰った伊豆の石で造られたものである 住吉神社は第12代景行天皇の命を受けた時の大臣である建内宿禰が蝦夷の地陸奥巡察の際に要所と見定めて建立したと伝える
 注目すべきは常陸風土記香嶋郡の条に『軽野の以東の大海の浜辺に流れける大船あり 長さ15丈(50m)潤(広さ)1丈余り 朽ち崩れて砂に埋まり今猶残れり』そしてその船は『淡海の御世(天智天皇)国まぎに遣わしむとして陸奥国の石城の船造りをして大船を造らしめしにここに至りて岸に着きやがて破れたり』とありこのいわ市で大船の造船技術者がいたのは実に興味深い 鳥居の下にる石の太鼓橋は江戸時代のもので米を江戸へ運ぶと帰りには船の安定のために積んできた石で造ったと宮司さんの話(泉の風土と歴史 岡部泰壽著)
 
磐城七社
磐城郡内に7つもの式内社あるのは凄い 大国玉神社 二股神社(小川) 温泉神社(湯本) 佐麻久根神社 住吉神社 鹿島神社 子鍬倉神社である 多数ある古墳群とあわせて磐城が古代から大和朝廷の影響下にあったかが分かる 温暖な気候 平坦な土地 明るい日差しが陸奥と一線を画す可刃利の里なのです

               可刀利 其の3