可刃利 其の4 |
上 7〜9世紀磐城を代表する夏井川河口近くにある古代磐城郡の政治・経済・文化の中心地である 後が磐城郡衙跡とされる根岸遺跡台地 手前が高さ2m30uの土盛り部分は基壇と呼ばれ中央に柱を受ける礎石があり心礎と云う。近辺に堂塔伽藍がが発見されている 磐城軍団もこの近辺に駐屯していたろうか?
磐城の古代への執念を持ち続け今も持ち続ける一個人渡辺行郎氏が発見した偉大なる古代遺跡根岸丘陵台地と夏井廃寺跡こそ想像力を高めるものは無い 夏井川河口 豊かな太平洋 平坦な大地 温暖な気候は4世紀全般にはすでに畿内王朝の影響下にあっても可笑しくなかったようだ 古事記には「神武天皇第2子神八井耳命は意富臣道奥石城国造の祖なり」とあり 又135年成務天皇の御世全国64カ国に分け国造を置いた時石城国造に建許呂命(タケコロノミコト)置いたと言う そして769年称徳天皇の御世769年「磐城郡の人外正六位上丈部山際に於保磐城臣を賜る」(続日本記)とある 正史に登場した磐城最初の人物である ここは神話とも史実とも言えぬロマン地なのだ
天平神護二年十一月七日(766年) 続日本紀には『以陸奥國磐城・宮城二郡稲穀一万六千四百余斛、賑給貧民』とある つまり766年に陸奥の國の磐城・宮城二郡は正倉(みやけ)に収納保管されてる稲穀を貧しい民に賑ったと云うのです 正に現代の社会福祉が既に古代になされていたのです 磐城郡の正倉はここ根岸遺跡にあり5間×4間の巨大倉庫である事が発掘されている
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古代遺跡根岸丘陵台地と夏井廃寺跡 ここに古代大和朝廷の出先機関石城郡衙があったのです 上右 渡辺行郎宅にある夏井廃寺礎石 上左磐城郡衙跡を背に立つ渡辺行郎氏 郡衙発見の立役者 |