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中村城(馬陵城)大手門から出陣する総大将 相馬野馬追は国重要無形民族文化財である 東北六大夏祭りの野馬追いの出陣 |
国指定重要文化財涼が岡八幡神社 相馬市
平成24年には本殿・幣殿・拝殿等4棟が国重要文化財に指定されたので知名度は➡ |
➡上がるでしょう凡そ今より1200年前の大同年間創建と伝え当時若宮八幡と云う古い祠があったという後醍醐天皇の折北畠顕家を陸奥守に任じ建武2年その武将白河城主結城宗広に宇陀の庄を与えその祠後に八幡宮を建立した(神社栞)
吹く風に 渋茶匂へり 陸奥の
所は宇多の 萱の中らに 源 頼義
前9年の役の帰り道彼はここ相馬の涼lヵ岡八幡(左写真)に立ち寄り老婆の出したお茶で一服し上の歌を詠んだという 左の写真がその神社だがそこの宮司の奥さんはそのことについてはご存知なかったしその様な石碑も歌碑もない 近くのJA職員に尋ねても全く知らないと言う 尤も福島県の歴史散歩によると建武年間(1334~38)とあり前9年・後3年の役が1062~1083年では300年も後の創建だ 相馬では勿来の関ほど義家人気はないがこれも野馬追いというビッグイベントがあるお蔭だろ➡右へ |
➡勿体無い事ではある果たしてこの歌が頼義が詠んだか否か定かではない |
上 小高妙見神社
原町太田の次の居城にあたる
このは日 野馬追いを飾る最後の日の野馬懸けの日だった 裸馬を素手で掴まえて小高神社に奉納する野馬縣けこそ野馬追いの原点と言う ここを浮舟城とも云います 相馬氏はここに12代270年本拠地とし一時原町の牛越城に移りながら慶長16年(1611)に現在の相馬中村馬陵城・中村神社を本拠とした
左 行方郷から相馬郷発祥の地 原町太田妙見神社
相馬氏は最初千葉からこの原町太田の地に根を下ろした(別所舘跡) 師胤はここに3年留まりその後息子重胤と孫光胤に築かせた小高城に移る ➡ |