昔信夫の渡し今信夫橋 阿武隈川にそそぐ荒川 福島の木戸(江戸口)がおかれた所 春日神社の歌碑では 荒れたる野辺ではなく 荒れたる宿となっている
 逢隈に 霧たちといひし から衣 袖の渡りに 夜も明けにけり  
重之
   阿武隈川と松齢橋 

 風そよぐ いなばの渡し 霧晴れて 逢隈川に すめる月影   光俊 
但し 袖の渡り 稲葉の渡しとも宮城県亘理町の阿武隈川にある歌枕である
上左 志乃婦渡し 信夫橋にはめ込まれているが気付く人は稀に違いない

左 阿武隈川舟運図 建設省東北地方建設局福島工事事務所発行

 阿武隈川の下にとあるのは福島城であり現在の県庁のある所である 赤線は道路を現しているが城の下には旧4号国道沿いの中町・本町があり今はないが県庁前通りの馬場町などが記載されている 又左の方には上町・米沢道・庭坂口御山新町があり左中には図にはないが馬喰町などの記載が見える 阿武隈川を越えて上に抜ける道には渡利村渡しとか渡利村・オレンジの円の中には渡利河岸と書かれている デフォルメされた図なので明確ではないがこれからすると信夫の渡りは今の松齢橋に比定されるようだ 渡し手前の小山は城の外堀の外側に描かれているが実際は福島城二の丸御庭の紅葉山(現紅葉山公園)でしょう
  右上の図では阿武隈川の渡利村渡し渡利河岸と描かれた信夫の渡りともとれる渡利村渡し  左画像の奥の橋は4号国道バイパスの大仏(おさらぎ)橋 右端にあるビルが福島城跡地にある福島県庁ビルで手前の森が紅葉山公園である 能因の知人がこの近辺に住んでいたことは間違いないことでしょう  奥の山は安達太良山である 憂思山(ものおもいやま・吾妻山)はその右手にあるがこの画像からははずれている 
わかるれど あさかの沼の 駒なれば 面影にこそ はなれざりけり
君がため なつけし駒ぞ 陸奥の あさかの沼に あれて見えしも
    能因の福島県の駒の2首
 
信夫の渡しを渡ると柳町番所があり江戸口と云われた

信夫の渡り 其の2