仏都会津の原点徳一大師の御廟 会津 陸奥の文化 教養の源となった大師 御堂には五重石層塔がある 東大寺興福寺の住職から腐敗した都市仏教を嫌い遠く北国会津を拠点に布教に来た 磐梯山を背にして立つ 彼は藤原仲麻呂(惠美押勝)の子とも謂われるが定かではない 常陸国筑波山中禅寺を建立して福島會津に入る 會津をはじめ彼由来の寺院が県内外に多く存する 空海・最澄への教理批判は有名でことに最澄との三一権実論争は弘仁8年(817)から5年に亘り書簡による論争を続けたのは有名だ |
上 恵日寺金堂の内部
右 皆鶴姫の板碑群
皆鶴姫(みなづるひめ)は,『義経記』に登場する鬼一法眼(兵法師)の義理の娘です。平家打倒を願う源義経は,鬼一法眼の兵法書を学ぶために,皆鶴姫に近づき恋仲になります。義経は,兵法書をひそかに写し取ることに成功しますが,平清盛に気づかれ奥州へ逃げます。→ |
|
|
左 空也大上人の墓
八葉寺境内 空也の墓がここにあるとは驚きました 天禄3年(972)9月11日この地で没す
耶麻の郡 其の2
左 新小型納骨塔婆・納骨器納め所 八葉寺境内 |