上
白河市教育委員会文化課提供
建鉾山出土遺跡
出土したこうした石製模造品は1万点近くもあり更に多くの人々により表面採取されたものは膨大な数にのぼると言う
日本武尊の山頂への参道
私も今
彼と同じ道
を登っているのです
建鉾石 日本武尊
がアジスキタカヒコネ命を勧請してご
自分の鉾をお立て
になって祭祀した所にある この周辺に5〜6世紀の東
北最大の祭祀遺跡群
がるのです ここからこの小山を
建鋒山・武矛山・鉾立山・都々古山等
と呼ばれてる
八槻 其の3
右
建鉾山にある
都々和気神社
此のお社こそ奥州一宮といわれる
馬場都々古和気・八槻都々古・近津神社の原点
なので奥の院とも云われる延喜式内社で白河郡七社の一つである
日本武尊
が東夷征伐の折この地においでになりこの神奈備山に目をつけて
マジスキタカヒコネノ命
を祀ったのが始まりと云う由緒ある神社である 参道碑の前にある
左
此の参道こそ
日本武尊
が祭祀の為御登りになられた参道なのです 碑には
景行天皇皇子日本武尊御神祭霊地参道
とある
左端
山頂への参道途中にある碑 何と
人皇第12代景行天皇皇子 日本武尊御駐蹕之霊地
と彫られている 昭和2年卯年に建立された
この二つ碑の文言には感激しました