土浦市内
左 保立食堂 明治2年創業(1869)の最古級の保立食堂は江戸時代には魚問屋を経営していた 水戸街道、土浦駅前通りと川口川との接点という地の利もあり当時土浦市内一の繁盛した店の一つであった 戦時中は指定食堂以外での外食禁止の時代昭和16年旧海軍指定食堂になり海軍予科練の常備定食屋となった 二階座敷が家族との面会の場所で 故郷の家族が御馳走を詰めた重箱もって会いに来たそうです 19万人が入隊し戦地に赴いた24000人の内19000人が戦死した若者と家族の別れの場でもあった この歴史ある建物には『御中食保立食堂 鮮魚云々』と書かれた『うんちく版』に昭和初期の建物の写真が貼ってあた(下)勿論現在も営業中である 
 
 土浦まちかど蔵 左大徳 右野村
共に江戸時代から続く商家で商都土浦の基礎を作った 大徳は呉服商大国屋徳兵衛家で野村は砂糖等を扱った老舗で江戸から明治初期に建造された3っつの蔵からなっている
左 老舗料亭霞月楼
霞月楼は明治22年の創業で1931年には海軍主催のリンドバーグ夫妻の歓迎会やセンピル大佐夫妻・山本五十六と海軍幹部・ツェッペリン号レーマン船長やエッケナー博士
吉田茂や池田隼人等の人物も利用した老舗





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