左端上下 土浦城(亀城)
平安時代に平将門の砦に始まるとの伝承がる 江戸時代築かれた土浦城の内本丸・二の丸の部分が公園と整備され掘割に囲まれた本丸が水に浮かぶ亀に似てたので後年亀城と呼ばれた左端の櫓門は現存するものとしては関東地方唯一のものだそうだ 下左端は東櫓
左上下 旧土浦中学校 
明治37年竣工の数少ない木造洋風建築で西洋の香り漂うゴシック風のひときわ斬新な建築物 当時外国人による設計と思われていたが昭和49年に棟札が発見され駒杵勤治の設計であることがわかり国重要文化財に指定された  過年度の卒業生により寄贈された『知の石像知恵の象徴で梟が本の上に乗っかている 現在県立土浦一高は県内一二を競う進学校である証左だ 哲学者ヘーゲルの ミネルバの梟は黄昏と共に飛び立つ に由来するのでしょう
左 県指定重文富岡家住宅
土浦市から歩ア海岸に向かう途中にある 元禄末期(十八世紀初頭)の建築物で現在もお住まい中である

霞ケ浦 其のV



  常陸風土記遺構 佐礼流海(されのうみ 霞ケ浦)
常陸風土記茨城の郡に 東は香島郡、南は佐礼海流、西は筑波山、北は那珂の郡なり とある
 ここはかすみがうら市が霞ケ浦に行方市に向かって半島の様に突き出た所に歩崎海岸があり歩崎公園に 帆引き舟発祥の碑と帆引き船の石像だ(上) 明治13年現当市に住む折本良平により考案されたもので大きな帆で風の力で前にではなく船を横に流して漁をする世界的に珍しいい漁法である 今は観光用のみである
左 国指定重文椎名家住宅
寛永年間以前からこの地に住み代々茂右衛門を襲名する 昭和45年の解体修理の際延宝弐年きのえ寅12月3日此当主椎名茂右衛門の墨書が発見され1674年12月3日の建立が判明した 東日本最古の民家と言われている