常陸風土記遺構地 敷島市 浮嶋
常陸国風土記の信太郡の項に『乗浜の里の東に浮嶋の村あり 四面絶海にして山と野交錯れり 戸は一十五烟 田は七八町余なり 居める百姓塩を火きて業と為す 而して九つの社ありて言と行を謹諱めり』とある 昔は独立した島であったが現在はご覧のように陸続きとなっている  同じく霞ケ浦の看板の間から見る浮島
 
常陸風土記遺構地 乗の浜 常陸風土記に信太の郡の項に『・・・古老曰く、日本武尊海辺に巡行でまして乗浜に行き至りたまひき。時に浜・浦の上に多に海苔を乾せり 是に由りて能理波麻の村と名づくといへい 乗浜里の東に浮島村有り・・・』とある 
下左 景行天皇行在所の碑 同じく信太の郡の項に『大足日子の天皇浮島の張宮に幸きし給ひし時水の供御なかりき即ち占者を遣して占訪はしめ所々穿らしめたまひき・・・
とあり景行天皇が日本武尊の蝦夷征討の往時を追慕され遠征の跡を巡行されその途中浮島に仮宮を営まれ30日滞在したと風土記逸文にある その仮宮跡
上左 鹿行大橋 
行方市と鉾田市をつなぎ北浦に架かる鹿行大橋

 神宮橋

鹿島市と潮来市を結び北浦から鰐川にかかる神宮橋 橋の向こうは鹿島神宮である 右奥に小さく赤い一の鳥居がみえます
下右端 西浜観音堂
元の乱で崇徳上皇に味方して敗れた藤原教長は捕えられここ浮島の地に配流された この島で7年幽閉された跡が西浜観音堂であるという 村人達との細やかな形を末永く契りて浮島の里人と別れんとするときにと 記された大杉の古木がある
   
霞ケ浦 其のW