阿見の阿彌神社 稲敷市阿見町中郷
由来書きによると『崇神天皇18年豊城入彦命が此の地に来て昔御建雷・経津主の二大武神を憶い『皇祖の天下を経営せらるるや阿彌の普都実に能く天業を輔弼せり両神功成りて天にしは蓋し此の地なるか』と これにより阿彌郷と名づく とある
左下 竹来の阿彌神社 稲敷市阿見町竹来
常陸国風土記の普都大神後降臨の地で中世では郷内第一の惣廟として二の宮明神と呼ばれた 元禄4年(1691)の棟札があり町内最古の建物で神域の樹叢は町指定文化財

下 若鷲の歌碑 稲敷市阿見町青宿
霞ケ浦と言えば予科練 海軍飛行予科練習生の訳 即ち海軍少年航空兵 作詞西城八十 作曲 古関裕而
 
 
 海軍の名戦闘機0戦実物模型  上左 人間魚雷回天実物模型 初の特攻専用兵器 上右 雄祥館内展示 第1期特(乙)種飛行予科練習生 パラオ島上空迎撃線にて戦死 18才 辞世の歌
君の為 何か惜し満ん 若桜 散って甲斐ある 命なりせば
上 式内社楯縫神  稲敷市美浦町郷中   同名の神社が美浦町信太にもある 常陸風土記に普都主命の大神が楯を脱いだ地である 楯脱が楯縫となた 創建は推古天皇16年(607)の古社である
上左 予科練の碑  同阿見町青宿
左 山本五十六元帥像 雄祥館
やってみて 言って聞かせて 試させて 褒めてあげねば 人は動かじ
苦しい事もあるだろう 言いたい事もあるだろう 不満な事もあるだろう 腹の立つ事もあるだろう 泣きたい事もあるだろう これ等の事をじっとこらえて行くのが男の修行である

 霞ケ浦 Ⅴ