左 寿亀山弘経寺
桃山時代文禄4年結城家18代城主結城秀康(徳川家康の次男)がその息女の追善供養の為建立したもの 秀康は後に越前に転封され越前北の庄藩67万石初代藩主で越前松平家宗家初代 江戸時代は俳人与謝野蕪村が滞在中に書いた襖絵と境内に蕪村の句碑がある

中下 蕪村句碑 弘経寺境内
  肌寒し 己が毛を噛む 木葉経
 
この寺には狸が僧侶に化けて住んでいた伝説に因んで詠んだもの 寒さで固くなった自分の狸の毛の穂先を噛んで柔らかくして木の葉に経を書く   
 蕪村句碑 結城城公園内
   ゆく春や むらさきけむる 筑波山 
        許我の渡し V  
左上 新居山称名寺 古河市隣の結城市の称名寺は鎌倉時代結城家初代武将結城朝光親鸞聖人の高弟真仏を開基として建立した 真仏は常陸平家の豪族平国香の血を引く真壁城主平春時の出家後の名である 此の寺には初代朝光から四代の墓と恵心僧都の往生要集を片仮名交じりにした物があり親鸞自筆で茨城県文化財に指定されている 

左下 初代藩主結城朝光の墓
平安末期から鎌倉時代に活躍した武将で源頼朝が烏帽子親となって元服した 頼朝の奥州征伐では厚保樫山の合戦で功労があり奥州白河を与えられた 法然・親鸞に深く帰依し晩年は出家している

上 親鸞の妻玉日姫の墓
関白九条兼実の七女で親鸞の妻恵信尼のお墓である称名寺から北東1kmの所にある 恵信尼の墓はあちこちにあるようだ