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左上下 伊佐城跡 筑西市
施無畏山延命院観音寺
左上は伊佐城跡の碑である 仙台伊達氏のそもそもの発祥がここ伊佐城なのです 左下の国宝中舘観世音の碑を抜けると右上の山門が迎えてくれる 此の手前にある市重文観音寺本堂は1208年伊達朝宗がを造営したものである そのお堂の中に国宝観世音菩薩像があるのです 1336年には伊達行朝が仁王門・経蔵等を新しく造営したのです
戴いた資料によると頼朝が鎌倉幕府を開く頃下館地方には藤原魚名の子孫である伊佐氏がいた 伊佐氏の祖となった藤原実宗は平安時代の終りごろ常陸介の職につき伊佐荘中村(下館市中館)に移り住み伊佐氏を名のった 5代目朝宗は文治5年奥州征伐に頼朝に4人の息子と従い功をあげ伊達郡(福島県)・伊佐荘(下館市)等を与えられた そこで朝宗は長男と三男を中館にとどめ次男と四男をつれて福島県の伊達郡に移ったのである
伊達郡移った朝宗の子孫はその後2代宗村・3代義広・4代政任・5代宗綱・6代基宗 ・7代行朝と伊達氏は続く 歴史は面白いです
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妙西寺 自由民権の魁加波山事件志士の墓 筑西市
平尾八十吉・富松正安・保多駒吉・玉水嘉一の4基の墓 明治17年9月23日下館の民権家4人と福島・栃木・愛知の16人の民権家が加波山に決起し山頂に自由立憲の旗を掲げた事件 明治政府の圧政に対して「立憲政府樹立と自由・民主主義」を願った行動だが失敗に終わり政府の不当な罪状をもって厳罰処せられた |
左下中
南北朝の騒乱では行朝は南朝側についた一族の旧地である伊佐城に入り北畠親房を助け奮戦するも高師冬により敗死落城した 右下の覆いの中に仙台7代藩主伊達行朝の供養塔があるのはそのためだ 説明板によると塔の正面には
延命院殿念海円如大居士尊儀
側面には
貞和四戌子歳五月九日寂伊達宮内大輔
行朝公塔
とある 墓とは彫られていないから他にあるのかもしれない |