弘道館
この辺りの県指定史跡城跡や弘道館一帯は茨城百景のひとつに指定されている 水戸城旧跡である三の丸1・三の丸2・三の丸3にある水戸一高・三高・二中・附属小・三の丸小・弘道館等の水戸城跡通り・三の丸歴史ロード・県道232号線通りは歴史的景観造りの白壁瓦塀や歩道・城門づくりで整備されつつある
 右 回天神社 水戸市松本町回天神社は幕末の動乱期・安政の大獄・桜札門外の変・坂下門外の変・天狗党の乱・会津戦争等で国事に殉じた水戸藩士を中心に志士達を祀る為に明治3年に作られ昭和44年明治百年記念事業として松下幸之助氏等の提唱により本殿拝殿鳥居の社殿が建立され翌年宗教法人の認可をうけた 主祭神は水戸勤王殉難志士1785柱である
名前の由来は東湖の水戸学の聖典回天詩史に由来する その冒頭には『三度死矣而不死・・・』と死を覚悟した事が三度あったが死ねなかったと書いているが結局安政2年10月の大地震で母を助けんとしてなくなった 享年50歳
 右上 東照宮燈籠 水戸市宮町 東照宮内にある2基の銅製燈籠は水戸藩祖徳川頼房(威公)が御祭神徳川家康公の33回忌に当る慶安4年(1651)奉納したもので高さ2m90cmある 奉献銅燈籠両基東照宮尊前慶安4年4月17日正三位行権中納言源頼房 の銘がある
左 烈公九代藩主斉昭によって設立された弘道館は藤田東湖や会沢正志斉を擁し水戸学の総本山となった 息子15代将軍慶を学ばせ吉田松陰も遊学の際に一か月間も学び・桜田門烈志関鉄之介等も学んでいる日本最大の藩校 藤田幽谷に始まる水戸学は幕末の尊王攘夷運動の急先鋒となった 大政奉還後慶善はここで一時謹慎生活を送った(弘道館資料
  六地蔵尊寺 
  水戸市六反田町
大同2年(807)開山室町時代の宥覚上が中興の祖人本尊は六体の地蔵尊とは身の丈各六尺の一本造りで行基菩薩作本寺は佐竹氏・水戸徳川家と代々の領主から厚遇うされ江戸時代には幕府から御朱印を与えられた末寺21課寺を有する本山で将軍家・水戸徳川家累代の御位牌を護持する 樹齢1100年の大杉や800年緒大銀杏・光圀公縁の枝垂れ桜等の景観は茨城百景に謳はれた 枝垂れ桜には三日ほど早やかった
 
回天神社碑
水戸殉難志士の墓の碑

曝井 V