伝 中尊寺の衣の関へ通じる道の碑
この道こそ中世の奥大道で平泉と違い関山の裏の衣川村は実に静寂そのものだ 当時はこの道には七日市場があり賑やかなメインストリートだったのです この道こそ清衡が関山中尊寺・金色堂の黄金文化を知らしめるためにわざわざ奥大道を関山に迂回させた道なのです 
    衣(河)関 其の3
  
衣の関其の2 上左 関山中尊寺
関山山頂にあるご存知中尊寺  ここが衣の関だったという説もある  奥大道は左に金色堂・旧覆堂でこれより先は立ち入り禁止となり道は消えている 往時はここを通り衣川に下りた そこに関があったと言う それが衣の関であったとも言う(上)  清衡が通した奥大道月見坂 彼はわざと難儀な関山に官道を通したのは路行く人に金色堂を見て極楽浄土を知らしめたかったからだろう  ここを起点に北は青森の外が浜 南は福島白河の関の間に一丁毎に金色の卒塔婆建建てたという 所謂一丁仏です ここが北緯39度 外が浜41度 白河ノ関37度 陸奥の中央が中尊寺なのです これは不思議な偶然でしょう 
衣の関其の1 左
 高館と関山の隘路
奥の小山が高館手前の足元が関山のふもと月見坂のあるその間の隘路の間を東北本線 旧4号国道が走る ここが関跡だという説もある 曽良はここを衣の関と書いている
衣の関其の3 上中 関道の正面山の突き当りの関
関道
其の1の中尊寺・金色堂の前を通り関山をくだったところにあるが今道はない ここが関跡だったという説もあるがその面影はない  正面の山が関山で関山に向って行くと衣川を渡る 渡ると直ぐに関山だがそこにこんな板碑・石碑群がある これが衣河関其の3にある衣の関跡でした 私は衣の関・衣河関・衣河柵の関係は混沌としていたがあのマップで理解できました 賑やかな月見坂の南側と違い関山の北側の麓にあったと言われる衣の関跡は残念ながらこの地上から消え去る運命のようだ この右側に衣川が流れてる 向こうに見える三角の山は月山神社・和我叡挙神社のある月山その麓に衣河関がある 
衣の関と衣河関は全く違うのです
 この道中尊寺の衣の関道 この道の突き当たりに衣川 川を渡ると関山でその麓に衣の関があり金色堂・中尊寺へと辿ったという  この道が奥大道なのです 今金色堂からはこの道は消滅している この先に衣川 昔奥大道はここから山のへこみの所を通っていた 衣関は川と山の狭い所にあった 畑仕事のお爺さんが「昔馬この道を駆け抜け中尊寺へ登った」と話していた
   中尊寺の衣の関へ通じる道 衣の関道の碑  奥大道