右 万葉歌碑 吾が恋は 
まさかも悲し 草枕 
多胡の入野の おくも悲しも
 
万葉集
巻14-3403
私の恋は今も悲しい 多胡の入野の奥の様に遠い先も切ないことだ

佐野山 V

            
上山名神社入り口にある石文の路碑(高崎市自然歩道入口)
神社とこの碑の間に上信電鉄の山名駅がある 全長22kmに及ぶ山名丘陵高崎自然歩道のうち山名神社入り口にあるこの碑から山上の古碑を通り金井沢の古碑までの凡そ5kmに万葉の歌碑が29基程が歩道わきにあり現代語でも記載されている 万葉好みの方には垂涎の地でしょう
上中 山の上古碑(上毛三古碑) 国指定特別史跡 
放光寺の僧長利が亡き母の黒売刀自を供養するとともに名族であった母と自分の系譜記したもの(説明板) 天武朝の681年造られた日本最古の古碑勿論中には入れなく厚いガラス越しからの撮影 その隣が古碑に彫られている53文字 日本の創世期の初々しい刻筆跡が微笑ましい 上右端は 古碑を覆う覆い堂
下中  日の暮れに 碓氷の山を 越ゆる日は 
    夫なのが袖も さやに振らしつ
 巻14-3402
夕方碓氷峠を越える日には越え行くあの方は私にはっきり見えるように袖を振られた
下右端  あすか河 塞くと知りせば あまた夜も 
   ゐ寝てこましを せくとしりせば
 巻14-3544
飛鳥川の水を塞き止められる如く渡れなくなると知ってたならもっと幾夜も共に寝たのに 邪魔が入ると知ってたならば(カタカナで彫られていた)(訳は高崎市役所商工観光部観光課発行の高崎自然歩道ガイドマップより拝借)
 
 
山上古墳  山上の古碑の脇にある 7世紀中頃の築造で隣の石碑より数十年古い 元々黒売刀自(女)の父の墓だが後に黒売刀自も追葬されたと想像される この53文字の碑文から大和政権と地方の支配制度・豪族間の婚姻関係や家族制度・地方仏教の浸透など多くの事が読み取れ山上碑が一級の古代資料の証である(説明板)