前ページ右端上下 県文化財指定石油産業発祥の地公園(道の駅天領の里 出雲崎) 新潟県は燃える水から石油産業発祥の地でありここ出雲崎は機械方式採用による石油掘削日本最初の地である 上右尼瀬油田機械堀第一号井遺跡の碑旧日石の蝙蝠マークが彫られている
右端下 内藤家と長屋門の久寛荘
道の駅天領の里から南へ数キロ下ると日本最初の石油王内藤家の久寛荘が国道8号線脇に見えてくる 内藤家の12代当主内藤久寛(1859〜1945)は1888年日本石油の前身「日本石油会社」を興し初代社長となった石油王である ここの長屋門は当時大名格にしか許されなかった事は庶民の内藤家が代々その実力が伺える 明治天皇行在所でもあった 現在は群馬県多野藤岡広域臨海学校となっていた

右上下 国指定史跡八幡林官衙遺跡
(長岡市和島)
平成2年国道116号線バイパス工事に伴う発掘調査により日本中の考古学者を興奮させたのが定形の58cmもの郡符沼垂城と書かれた木簡他100点が出土した事である 日本書紀大化3年(647)の条に「渟足柵を造り柵戸を置く」との記述があり対蝦夷対策の最初の柵が木簡の出土によりその存在が証明されたのです 然し依然としてその所在地は不明であるが新潟市東区沼垂に字名がありその辺りに比定されているのみである 信濃川と阿賀川と云う大河の河口にあり相当の移動・変動があったと思われる 下の男性は道の駅わしまの駅長さんでわざわざ案内してくれた この遺跡を残す為にわざわざ短いトンネルを掘って残したという
上中 美術館前の良寛像

下中 像の前にある良寛の詩句の碑
下有斑白人?々讀黄老(?変換不能=ろうろう) 下に斑白人の人有り  ?々として黄老を読む大きな木の下に白髪交じりの人がいて大きな声で黄帝や老子を祖とする道家の書物を読んでいる とある
上 長岡市和島にある良寛の里美術館にあるデート中の良寛と貞心尼の像 この時良寛70歳貞心尼30才であった 彼女には結婚歴があるが彼女からアプローチしてるので積極的女性だったのでしょう

下 美術館前の歴史民俗資料館の脇にある良寛・貞心尼出逢いの庵
(模擬) 
 出雲崎 W










 手前の碑には有名な相聞歌が彫られている(僧も尼も恋する人間の恋文書簡だ)
二人の恋は良寛が亡くなるまでのあしかけ6年の恋だった 彼女はその後『蓮の露』と云う歌集を残し良寛との恋文のやり取りを後世に残したのです
君に斯く 相見ることの 
嬉しさも まだ覚めやらぬ 
夢かとぞ思ふ  
貞心尼
夢の世に かつ微睡みて 
夢をまた 語るも夢も 
それがまにまに   
良寛
いかにせむ 学びの道も 
恋ぐさの しげりて今は 
文みるも憂し
 貞心尼
君や忘る 道やかくるる 
このごろは
 待てど暮らせど 
おとずれのなき
 良寛