ではここ姉歯の松を詠み一級の歌枕にした、御存知「昔 男ありけり」で始る伊勢物語は一体どんな文章なんだろう。それは『14段 桑子にぞ』の段に載っている。其の部分を現代語訳で記載してみた。『昔 ある一人の男が陸奥の地方へあてもなく出かけていって、ある所に行き着いた。その土地に住む女が、都の人を見て珍しく感じたのだろう、たいそうこの男を慕う気持ちが強かった。そこで其の女は次の歌を詠んだ。
なかなかに 恋に死なずは 桑子にぞ なるべかりける 玉の緒ばかり
女の人柄は言うまでもないが歌までも田舎じみていた。がそうは言っても男はやはりその純情さに心惹かれ女のところにいって共寝をした。男が夜明も未だ暗いうちに帰ってしまったので女は
夜も明けば きつにはめなで くたかけの まだきに鳴きて せなをやりつる
と言ったので男はこの地を去って都へ帰るといって
栗原の 姉歯の松の 人ならば 都のつとに いざといはましを
と詠んだところ女は嬉しがり『あの人は私の事を愛しいと思っている」と言っていたと詠んだ意味を取り違えて喜んでいたのだった。』 実際は男が全く風情も知性も無い田舎女そのもので何の愛着も無いのにである。 誠に彼程陸奥の女性を侮辱した人はいないのではないか。彼は然も懲りもせず次の『15段 しのぶ山』では 『昔 陸奥でととり立てて言う事も無い人の奥さんの所に通っていたが不思議とこんな草深い陸奥の地で平凡な人の妻とも思えぬように見えたので彼女に
しのぶ山 忍びて通ふ 道もがな 人の心の 奥も見るべく
と歌を送った。こんな歌を贈られた女は舞い上がりこの上なくこの男を好ましいと思ったが、男にはそんな気持ちはもうとうなく簡単に男によってくる粗野で取り得のない洗練されていない心を覗き見てはどうにも興ざめな事だ』 と述べている。何とも情けない事だが、然し[『今業平』とも呼ばれるこの手の男は現代にも結構多いし又それに乗るお人好しな女も未だに多いのも事実だろう。1100年経っても男と女の駆け引きは変らない事をこの松は教えてくれてるようだ。所であの芭蕉は此処に立ち寄っていない。奥の細道では『人跡稀なる路ふみたがえて石の巻といふ湊に出づ』と彼一流の創作文で言訳をしているがそんな事はないだろう。一関から岩出山に抜けるのに上街道を通らず奥州街道を抜ければ姉歯の松も緒絶橋も多少遠回りでも立ち寄れたのである。結局彼は余りこの2つの歌枕に関心がなく、先を急いだのは早く尾花沢の旧知鈴木清風宅でゆっくり骨休めでもしたかったのではないだろうか? その証拠に上街道沿いにあり能因が詠んだ歌枕『昔川』『音無の滝』を渡ったにもかかわらず一言も触れていない。元々彼の陸奥の旅の目的は尊敬する能因・西行の足跡を辿る旅なのに一言も触れないのはやはりそのためだろう。
(参考 伊勢物語 講談社学術文庫)(平成16年3月22日) |
姉歯の松の近くを流れる三迫川にかかる橋には姫の越橋(ひめのこはし)なるレリーフがみごとである |