今も虫売りの仮装をする紺野新四郎さんで代々孫太郎蟲売りの末裔である 今は団子やさんである 前Pの広告の画像は彼の店に飾ってある
 
上 白石城 白石市益岡公園 5月3日でも陸奥の桜は3分咲き 白石城と片倉小十郎影綱公の記念碑➡
  旧奥州街道あぶみすり坂 新4号古国道はその前を通る 白石市斎川   ➡ 1615年(元和元年)の一国一城令にも拘わらず仙台藩は仙台と白石の二城が残された ここで明治維新の奥羽越31列藩同盟・公議所・按察府・兵部省兵隊屯所等が置かれ時代転換期の陸奥の重要な役割を担った
左上下
 国重要文化財高蔵寺阿弥陀堂角田市高倉
写真は白石市東方10kmの角田市にある 1177年(自承元年)藤原秀衡とその妻によって建立された宮城県最古の建物 宇治平等院鳳凰堂とともに
日本最古の七大阿弥陀堂 平泉中尊寺阿弥陀堂・いわき市白水阿弥陀堂と共に東北3大阿弥陀堂である
右 一等道路東京街道の碑 
旧4号から西に100mほど入ったお茶屋さん「お茶とく」の角にある 真っ直ぐ西に伸びてる道が旧米沢街道である
 明治初期の貴重な且つハイカラな道標です
一等道路東京街道道標で英語でも『Main Road To Tokyo』と彫られ➡
 ➡その上方向を人差し指の形で彫ってあるのです 別の面には二等道路『下戸沢駅ニ出テ米沢街道』とも彫られている 当時の河港道路修築規則には
第一則・・・東海中山陸羽ノ如ク全国ノ大経脈ヲ通ずる者ヲ 一等道路トス
第二則・・・各部ノ経路ヲ大経脈ニ接続スル脇往還枝道ノ類ヲ二等道路トス
第三則・・・村市の経路ヲ三等道路トス
とあるがこの名称は明治6年8月から明治9年6月まで僅か3年限りの呼び名だったと言う そんな貴重な道標が甘味処お茶とくさんの店の角にそれは立っていて驚いた 幸運にもここの御主人日下さんも郷土史に詳しく資料を見せ頂きました

    不忘山 其の4